記憶の船

【一日一作プロジェクト】「記憶の船」を作った。今日は母の日(スペインは先週の日曜日だった)。いきなりだが、高校の頃「数学が全くできない」私に母は

「そんな〜。お母さんの子だで、できんくて当たり前だよ〜」

と笑っていた。数学、科学、物理は見事に全滅。苦手というレベルを超え、まったく理解できなかった。だいたい

「質問の意味がわからず」「答えを聞いても、まだ式の途中?」

って、何もわかっておらず(笑)。担任の先生は「物理」だったので、そっと私を呼び出し、個人レクチャーをしてくれた。そして「全く理解していない」ことを確認すると、茫然としながら

「この辺が出ると思う」

と、こっそり教えてくれた(笑)。それでもテストの結果は、100点中の30点。単位がまちがっていたのに、知らんふりして○にしてくれた〜(涙)。

部活の先生は「数学」だったので、やはりこっそり個人レクチャーをしてくれた。これすべて「情け」から。「やる気はあるのに理解できない」私のような生徒に、先生も戸惑いながら

「大丈夫!文系という手がある」

解決策(笑)。国語、英語、音楽、美術、体育しかできない私に、先生たちは揃って優しかった。黒板に書かれた式をじっと見つめながら

「先生、私は今、何を解いているんでしょうか?」

と虚ろな目で尋ねた時の、先生の表情を今でも忘れない。英語の先生に至っては

「君は外国に行け!世界ではやっていける」

と励ましてくれた(笑)。そんな温かな先生方に囲まれ、それでも父に頼んで塾に通わせてもらい、なんとか試験をクリアー。それを母に伝えると

「お母さんもそうだったよ〜。XとかYって、なんで数学なのに英語が出てくるの?って思ってた」

同じかい(汗)。とにかく高二の秋までがんばれば「文系を選択できる」。その希望が、私を支えた。

「どうしてできないんだ!」「なぜわからないの⁉︎」「しっかりやれ」「やればできるはず」

と、けしかけられたことは、学校でも家でも一度もない。先生も両親もいい意味で「あきらめて」くれたおかげで、私は自分を追い込まずにすんだ。

「できなくても、生きていける」

理由なき自信に、勝るものなし(笑)。その頃は、たとえ就活で会社に受け入れてもらえなくても

「世界が私を待っている!」

と思っていた(笑)。「君は日本より世界向き」と背中を押してくれた英語の先生は、なんとその10年後、マラガまで私を訪ねて来てくれた。人生とはなんて不思議な縁で紡がれていくんだろう。

「お母さんにできないことを、ももちゃんはできるんだねぇ。すごいねぇ」

どんなにテストの結果が悪くても、母は一貫して言い続けてくれた。たとえ30点でも「お母さんなら0点だよ」と。母の日に、感謝を込めて。

「記憶の船(きおくのふね)」

「VIDA(人生)」「AMOR(愛)」「LIBERTAD (自由)」の文字がひとつに結ばれ「種」になった。「むふふ」と、光と闇の間で微笑んでいる。

違い(個性)を認め、いいところを存分に伸ばせる社会を。早々と「ダメの烙印」を押さない。私たちは誰もが「種」。この世でたったひとつの「記憶の船」。

みなさま、すてきな日曜日を。

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