【一日一作プロジェクト】ネクタイアート「遊楽羽(ゆらばね)」を作った。うちのオウムは、時々じっと私を見つめる。無言で。そのまっすぐな眼差しは
「遊んで」
と言っている(写真)。だいたい作業中なので「また後でね」と通り過ぎてしまう。が、さすがに数回後には覚悟を決めて
「よし、15分集中して遊ぼう!」
と、作業の手を止める。正直、ペイントし続けたい。でも、この15分がとても大切なことはわかる。
「お利口さんにして待っている」
のだ。遊んでもらえると信じて。この「わくわく」モードの時に「よし、遊ぼ〜」と、しっかり向かい合うのが大切。これを過ぎると
「怒り心頭&破壊モードへ突入」
笑(←何度も経験ずみ)。オウムは本当にうれしそうに、全力で遊ぶ。その生き生きとした表情や動きを見ていると、ふと40年前の小学生だった自分を思い出す。とにかく
「遊ぶのが好き。毎日遊びを発明していた」
あの無限のエネルギーはどこから(笑)。ひとりっ子の私は、1人遊びは得意だけれど、兄弟姉妹もおらず、近所に友達もおらず(山奥に住んでいた)学校からいったん家に帰ると、遊び相手がいない。
「みんな町に住んで、友達が近所にいていいなぁ」
と、ずっと思っていた。ピアノを弾き、本を読み、絵を描き、庭を歩き、空を眺め、近所を散歩し、空想にふけり、作文や物語、詩を書き・・・小学生の頃から
「1人で2、3時間、黙々と集中して遊ぶ」
のに慣れていた。週末は1日中。3連休や夏休みになると、さすがに友達と遊びたい。そんな時、きっと私は
「こんなオウムのような表情をして」
父を見ていたにちがいない(笑)。口には出さないけれど「遊んで〜」と。他に誰もいないのだ。ボールを胸に抱え、仕事の終わる父をじっと待つ。
働き者の父は、朝から晩まで忙しく働いていた。休日もあってないようなもの。時間があれば、きっと休みたかったにちがいない。それでも父は、いつも私と遊んでくれた。どんなに疲れていても
「キャッチボールやるか!」「トランプしよう」「体重を計りあっこするか〜」
まるで、私のためにでなく、自分が遊ぶのが楽しいからやっている、みたいな空気を漂わせて。だから、私も。
「松ぼっくりで遊ぼっか!」「ぷぷぷっ」
私がしたいから、やるんだよね。遊んで「あげる」のではなく。父から受け継いだ「まずは自分が楽しむ」精神を大切にしよう。
「遊楽羽(ゆらばね)」
心から「遊ぶ」「楽しむ」ことを教えたくれた父。感謝の気持ちを込めて。遊び心は「羽」だ。心に生えたわくわくの翼。私たちはみんな、心に羽を持っている。みなさま、すてきな1日を。