【一日一作プロジェクト】「結風(むすびかぜ)」を作った。コロナ規制で、銀行の中には「1人(1家族)」ずつしか入れてもらえない。店の前にはたいてい行列が。その日は、私の前に6人。
「あぁ、膝が痛い」
すぐ後ろの70歳くらいのおばさまが、そっとため息をつく。すでに20分ほど立ちっぱなし。日陰で冷たい風が吹き抜ける。辺りにはベンチひとつない。
「あの、よかったら、次に私が呼ばれたら一緒に中へ入りましょう」
マスクで顔が隠れている分、目で思いきり笑った。おばさまがはっと顔を上げる。そうすれば、銀行内にあるイスに座ることができる。暖房のきいた場所で。ゆっくり待てる(次の人は中で待つ)。
「何か言われたら、私たち親子だって言えばいい」
おばさまの表情が、ふっと和らいだ。もし自分の母だったら、座らせてほしいと思う。たとえ5分でも。暖かい場所で。
私たちは銀行内へ一緒に入り、イスに座って順番を待つ間、しばらくおしゃべりを楽しんだ。膝のこと、病院のこと。私はフラメンコのこと。本当の親子のように。
「ありがとう。助かったわ」
誰も知らない、つかの間の親子ごっこ。でも、お母さんに言われたようでうれしかった。体が痛い人にとって、立ったままの30分は果てしなく長い。それも冬の風に吹かれながら。銀行のガラスを鏡にして
「えいやっ」「タタタタン」
と勢いよくストレッチやステップの練習をしている私とはわけが違う。帰り道、6年前に亡くなった母を、ふいに思い出した。私の母は体が弱く、出かけた先でよく座り込んでいた。
1度、授業参観に来てくれた時、立ちっぱなしだった母は気持ちが悪くなり、その場に座り込んでしまったらしい。私はそれに気がつかず授業を終えて、友達と教室の外に出てしまった。
「ももちゃんに見つけてもらえるかなぁと思って」
家に帰って、そう母に告げられ時、ショックで言葉が出なかった。母は私を頼りにして「きっと助けに来てくれる」と信じて待っていたのに。
「私は、助けなかった」
そのことが、何十年も心にトゲのように突き刺さっていた。あの時、母にできなかったことを、目の前の「誰かのお母さん」にしたかったのかもしれない。
「結風(むすびかぜ)」
思いは、風だ。心と心を結ぶ風。「風」文字から、思いが溢れ出る。歓びや悲しみのしぶきが。みなさま、すてきな週末をお過ごしください。