べラと最後にドゥオ演奏した場所

昨日の続き。ジローナ観光から戻ると、ルイスはソファで少し遅いシエスタをしていた。さっそリビングにあるくピアノへ。二年ぶりに、そっと蓋をあけてみる。去年は、近づくこともできなかった。

「興味がない。悲しくなるから、ピアノはもう弾かない!」
そう言い切る私に、ルイスは何も言わなかった。ただ、ぽつりと
「いつか、プリンセサのピアノを聴けるのを楽しみに待ってるよ」
とだけ、言った。

この場所。このリビングこそ、ベラと私が最後に一緒に「ドゥオ演奏」した場所。ホテルでも教会でもレストランでもなく。大の親友の家が、最後の演奏の場所だなんて。なんだか、とてもベラらしい。

「もうお金のために、弾くのはいやだ・・・」
と、いつも言っていたベラ。でも、生活費のためには、そんなことを言ってられなかった。

光に包まれたリビング。その中に、ピアノはあった。なんだか急に胸がいっぱいになった。音楽は、ピアノは、いつでも待っていてくれるのだ。
「もう二度と近づきたくない」
と言った私さえも。受け入れてくれるのだ。

こんなに長い友達を、私は持っていたのだ。三歳の時から、今日まで。
「ごめんね・・・」
私は声に出して、謝った。そして、ルイスがウイスキーを持ってピアノの横に座るのを見ると、涙がこぼれそうになった。
「聴いてくれる人がいる、待っていてくれる人が・・・」

私は、編曲中のラテン音楽やジャズ、ボサノバなどを弾いた。ピアノに向かってわずか五分で、汗が噴き出してきた。この感覚。一気にボルテージが上がり、アドレナリンが出る。肉体的に知っているこの懐かしい感覚。

「いい顔してる」
ルイスは、とても満足そうに言った。そうだろう。私が今したのは、ピアノを弾くことじゃない。思いを伝えることだ。ルイスに。
「ありがとう!私を愛して守ってくれて。あなた方を愛しています」
その思いが、音楽という形をとっただけだ。言葉のかわりに。ピアノは、手段だ。思いを伝える。

愛する人たちのために弾く。それが、べラがしたかったこと。
「今、わかったよ」
私は少し、泣いた。二人で演奏した最後の場所で。この場所に二年ぶりに戻って、私はベラに、ルイスに教えてもらった。

ピアノは手段。思いを伝える。ありがとう、愛している。それを伝えるために、私は弾くのだ。そして、一緒にこの瞬間を生き、分かち合うために。

バルセロナ滞在、最後の夕食を楽しんだ後は、恒例のソファタイム。
「ジローナには、不思議な言い伝えがあります。クマのお尻にキスすると、再びジローナに戻って来られる、という・・・」
「ふんふん」
と、まじめに聞いているルイスとギジェ。

「で、同じ論理でいくと、ムーサ(犬)のお尻にキスすれば、この家に戻って来られる。と」
「はっ?」

見れば、ムーサが私の横ですやすやと眠っているではありませんか。今が絶好のチャンス。
「まさか、プリンセサ・・・」

結果は・・・写真四枚目をご覧ください。

(バルセロナ滞在記・完)

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