第37話 ブエノスアイレスでタンゴ浸け

4年前、偶然入った地下劇場でタンゴの舞台を見た時
「音楽屋になる」ことを決めてしまった。
だからタンゴには特別な思いがある。

一年に渡る“チップ積み立て制度”が功を奏し晴れて念願のウルグアイ、アルゼンチンへ
1ヶ月もの間、行けるようになった。

貧乏旅行を支えてくれるのは宿泊先を提供してくださる
ベラの妹さん一家(ベラの両親の家に住んでいる)や
アルゼンチンではブエノスアイレスに住むベラの30年来の友人エテル。

ブエノスアイレスで私たちを待っていたもう一人はフランクリンだった。

4年前、タンゴの舞台を観た後、泣きながら駆け込んだ楽屋で
なぐさめてくれた人だ。
その日、タンゴ歌手として舞台を踏んでいた彼は
「私も音楽をやりたい!あなた達と一緒にあの中にいたい!」
と泣き叫ぶ私を
「必ずできるさ。ブエノスアイレスで待ってるよ」
と優しく抱きしめてくれた。

あの日から、4年が経っていた。

「来たね」
白髪のフランクリンが目の前で笑っていた。

あの日以来、一方的に手紙を送り続けた。しめくくりの決まり文句は
「いつか必ずブエノスアイレスに行く」
最初は呆れていたに違いないフランクリンからもやがて返事が届くようになり、
私はタンゴ公演があるたび、パンフレットとともに“タンゴ道”
“思い入れたっぷりのピアノ道”を歩いていることを報告していた。

「まさかあの時の女の子がねぇ」
笑って両手で抱きしめてくれたのは4年前のあの日と同じだった。
違うのは、あの日観客だった私が今は舞台の上に立っているということ
タンゴをやっているということ。

ベラと私は、フランクリンのマンションに2泊させて頂くことになり、その間
昼も夜もタンゴ三昧。大劇場ではコペスのダンスショー、地下小劇場では
無名の若手アーティストによるタンゴショー
ボカ地区のカミニマートではストリートミュージシャンのライブ、
この道60年のベテランバンドネオン奏者がボリーチェ(呑み屋)で弾いてくれた古典タンゴと
何から何までタンゴ。

フランクリンの部屋のベランダの向こうに広がるブエノスアイレスの町を眺めた時
胸がいっぱいになった。
「本当に私は来たんだ」
ブエノスアイレスに。そして今日この日まで。

いつかこんな日が、と願ってはいたが今日を生きるのに一生懸命で
憧れている暇さえなかった。
4年間、全力で走ってきて、ひとつ大きな階段を登ることができた。
何かを果たしたという気持ちになった。

そして、出発の時がきた。いよいよベラの故郷ウルグアイへ。

(第38話につづく)

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