第20話 ベラに歴史あり

1962年。
それはウルグアイ、アルゼンチン、チリにとって恐怖の幕開けとなる年だった。

独裁政治、軍事国家が化け物のようにこの国を飲み込もうとしていた。
1972年に始まる軍事政権による徹底した抑圧。
反対するものは容赦なく拷問殺害され妊婦は出産直後に殺された。
そうして“プレゼント”された子供たちは100人を下らない。
ウルグアイは総人口が330万人という少人数国家だ。これは横浜市の人口よりも少ない。
ウルグアイは総人口あたりの拷問率が世界で最も高い国だ。
自らの政府・警察・軍隊により50人に1人が拷問を受けていたことになる。
アルゼンチンの陰に隠れあまり知られていないが、独裁政治、軍事国家と戦い命を
落とした若者達の組織「トゥパマロス」は有名だ。
その生き残りの一人ムヒカ氏が10年に渡る牢獄生活の後
2011年にウルグアイ大統領となったときは国中が熱狂した。
アルゼンチンでは反対する若者達をヘリコプターに乗せてリオ・デ・ラ・プラタ(ラプラタ川)に
突き落とすという残忍極まりないやり方で3万人以上の若者が行方不明になっていた。
行方不明になった息子・娘を探し続ける母の会が今も
アルゼンチンのマジョ広場で毎週木曜日にデモ行進する。
“マドレ・デ・マジョ”だ。その手に握られた20代、30代の若者の写真。
かつては彼女達自身も若かったはずだが今は大半がおばあさんとなっている。
ベラたちはアムネスティの力を借りてスウェーデンに避難した。
当時のスウェーデンはパルメ大統領による人道的政治が花開いており
こうした独裁政治による難民を何万人と受け容れていたのだ。

何とか生活することはできたがバイオリンはもう続けられなくなっていた。
スウェーデンでの生活は命の保障はしてくれたが皮肉にもベラから
バイオリンを取り上げる結果となった。
「これを売れば5、6ヶ月は食べられる!」
バイオリンは売られていった。そして3年の月日が経った。
独裁政治の終焉と共に避難していたウルグアイ人も徐々に祖国に戻り始めた。
そんな折、ウルグアイの母からベラにひとつの小包が届く。
「何だろう?」
包みを開けるベラの手が止まる。
「ヘゲドゥ!!(バイオリン)」
箱の中に入っていたのはベラが愛してやまないバイオリンだった。お母さんは
ベラがバイオリンを売らなくてはならなかったことを知り3年かけて
お金を貯めこれを送ってくれたのだった。このことを話す時、ベラは
今でも目に涙を浮かべる。それからバイオリンを再び弾き始めたベラは
教会のミサ、バレエの伴奏、バイオリンのレッスンなど次々に手を広げていった。
そしてその頃には3児の父となり、スウェーデン語も話せるようになっていた。

そして10年後、知り合いのオーケストラの指揮者を頼ってスペイン、マラガに来た。
「はぁ──っ!」ここまで聞いてすっかり仰天してしまった。
ベラに比べたら私の人生なんて何でもない。普段ぼーっとしてベラに
こんな人生があっただなんて。
「バイオリン売っちゃって、何の仕事してたの?」
「病院で働いてた」
「病院って?」
「ウプサラの精神病院。あそこで2年、掃除してたんだけどおもしろかったなぁ。
患者さんの方がずっと“まとも”だったね」
って、ベラって、もしかしてすごいネタ持ち?意外なベラのタフさに触れ
日雇い音楽屋の奥の深さを改めて実感したのだった。

(第21話につづく)

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