第21話 英語レストランの思い出

イギリス人オーナーの経営するフィンカ・ベザジャ・レストランでの演奏が始まり
私たちは安心して月々の家賃が払えるようになった。が、

1ヶ月、2ヶ月…と演奏するうち次第に明らかになってきた私たちの
レパートリーの少なさ。常連客の多いこのレストラン、ひどいと毎週
同じ顔ぶれだったりする。そのうえ毎週毎週リクエストがかかる。
「My Way」「Danny Boy」「屋根の上のバイオリン弾き」
「これじゃダメだ。毎週新曲を最低2曲作ること!」
と自分で決め、アングロサクソン系のスタンダードを中心に
またしても編曲&練習だ。一度リクエストされた曲は、
その週のうちに覚え次回に備える。が、なぜかリクエストされるのはいつも
まだ覚えていない曲なのだった。はぁ~。

6ヶ月、ストップ無しで新曲作りをしたお陰で契約が切れる頃には
かなりのレパートリーになっていた。すると、私たちに伴奏させ自分の好きな歌を
歌うことが趣味になっていたオーナー氏、今月が最終月だと気付くと
「あと6ヶ月、続けることにする!」
おお──っ、なんという太っ腹な。レストラン経営にはまるで無頓着だったが
自分の好きなことにすべてのエネルギーと金を注ぐ
中世のパトロンを思わせるフランシス氏だった。

私たち音楽屋の立場は、その頃には社員に近く、その日のレストランの空気、混み具合
客層、国籍などを見ながら上手に盛り上げていくことを求められた。
厨房が立て込んで料理が出せない時にはテーブルに近づいていって
お客さんの気分を和ませる。グループで盛り上がっているところには
アップテンポの手拍子のできる曲を
カップルには、もちろんロマンティックな曲をと
“ただ時間通りに弾いてりゃいい”のとはわけが違うのだ。
さらに常連のお客さんとはにこやかに挨拶もしなくちゃいけないし、休憩中には
ちょっとした会話だってできなきゃいけない。
「でも、何でみんな挨拶がハローなの!?」
お客さんの9割が英語圏の人々であるこのレストランの公用語はもちろん“英語”。
ピアノを弾きながらにこやかに口にするのは
「ハーイ、グッドイブニング!」
まさかスペインまで来て英語を話すとは思ってもみなかった。それも仕事で
それもイギリス人を相手に。イギリス人ですよ。最初の英会話の相手が!
せめて英語を話すスペイン人とかなら順序的にも入っていきやすそうだが。

それでも一年の間、本当に楽しくレストランに通うことができたのは
ひとえに舞台俳優でピアノもたしなむオーナーの芸術を愛する心と
いつも心優しく力持ちだった国籍豊かなボーイたちに見守られていたからだった。
黒豹の如くしなやかにテーブルの間をすり抜けて行くキューバ人のルイスとロベルト。
笑うとはらりとこぼれる白い歯がまるでカリブの太陽。
イタリア人のボーイ、ピーノは“笑い話”の名人。毎週、新しいジョークで私を
大笑いさせてくれた。
モロッコ人料理人、ハミーはなんと元プロボクサー。そのがっしりとした体から
編み出される花園のような繊細なデザートには驚かされたなぁ。
よく内緒で食べさせてくれたっけ。
アルゼンチン人のボーイ、ウーゴは花が大好き。言われもしないのに
蝋燭の周りにそっと庭から摘んできた花を飾ったり
「ブラボー!」とピアノを弾く私めがけてよく小花を投げてくれた。
他にもセルヒオ、ハビー…一年間に渡る思い出は書きつくせない。
私たちは彼らの誕生日の日、ちょうど彼らが料理をお客さんに運ぶ瞬間を狙って
“ハッピーバースディ”の曲を弾いた。するとレストラン中、大合唱、大拍手!
普段裏方に徹する彼らがみんなの中で祝福されるのを見るのは本当に嬉しかった。

そして私は、いよいよ念願の“ピアノ”を買うために一人楽器店へ向かった。

(第22話につづく)

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「第21話 英語レストランの思い出」への2件のフィードバック

  1. 久しぶりです。貴久です。手紙有難う、届いてますよ!
    momoがブログですかあ!!
    数年前はパソコンの「パ」の字も理解していなかったのに・・・。
    変わるもんですねぇえ!
    元気そうで何よりです。体には十分気をつけて頑張ってください。
    またコメントしますね!

  2. (momoからのコメント)
    貴久、お久しぶりです。コメントをどうもありがとう。中学高校が同じだった貴久にしたら私は体育ばかりやってる女の子だったろうね。それがまさかピアニストとは、貴久だって小さいとはいえ代表取締役ってびっくりしたと、すごいね。今、私サルサを習ってるんだけど今度教えたげるわ。サルサ踊れる取締役っていいと思う。momo

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