第17話 ピアノの無いピアニスト

今年の私の目標は“ピアノを買うこと”。
「電子ピアノではなくピアノで練習したい」
「ピアノを弾きたい」


と毎日のように繰り返す私をベラが見かねて
「そうだ!買えるまで僕の友人のピアニストの家に
行って弾かせてもらえば?頼んどいてあげるよ」
その友人とはマラガのセントロ(中心街)のカフェテリアで
20年に渡りライブ演奏を行っている有名なピアニストのロロ氏であった。
事情を聞くとひとつ返事で
「クアンド キエラ!(いつでもどうぞ)」
マラガのセントロまでバスで30分。そこから歩いて20分。1時間がかりなので
夕方5時に出かけても帰ってくるともう9時。
「家にピアノがあるといいなあ」
その思いは消えるどころかますますつのってくる。

そうなって思い出したのが愛知県の実家に置かれていたヤマハのピアノ。
私が3才の時に両親から買ってもらったものだが当時はまだとても高価なものだった。白黒テレビの時代に“ピアノ”を買う。それは相当な決意のいることであったと思う。
父などクルマが持てずバイク通勤なのに“ピアノ”である。
そんなことも知らず練習はいやいや宿題や部活を理由に休もうとするが
「風邪をひこうが熱があろうがピアノは弾ける!」
と母は言い切っていた。というわけで私が唯一ピアノの練習から解放されるのは
“修学旅行”だけだったのである。
当時は2才の子どもに音楽を習わせるという英才教育風の風潮がなかったため
両親と暮らしていた江南市でやっと見つかった音楽教室は“寺”であった。
私は毎週“寺”に通うことになった。そこにはオルガンとピアノが置かれ
ピアノを弾く前に〇〇で手を洗ったりして
(お寺にある手や口をゆすぐ水場のことなんと言うのか忘れちゃった
ツクバイじゃないし…う~ん…なんでしたかねぇ?)
風流な趣である。どことなく線香の香りも漂って…それから引っ越した蒲郡市でも
なぜか最初の半年は“寺”だった。(なぜ?寺子屋の名残とか?)
その後、個人レッスンが始まりピアノの練習とは別にソルフェージュや
採譜、聞き取りなども始まった。

私の大好きだった今井先生は音大の学生で1LDKのアパートに住んでいたが
リビングにはピアノと机と椅子、さらに板の間の台所にはグランドピアノが置かれ
まるでピアノが部屋を借りたようであった。
「どこで寝るの?」
って聞いたら
「グランドピアノの下」
って。
ピアニストになるとはここまでピアノと一緒の生活を
送ることなのか!と当時11才くらいだった私は素直に感動していた。
そしてそんな今井先生をめちゃくちゃカッコイイ!と思った。

(第18話につづく)

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