【一日一作プロジェクト】父が、80歳の誕生日を迎えた。「お祝いアートを作ろう」と、思いをめぐらせるうち「夢」という文字が浮かんできた。
「夢を実現させることを許してくれた父」
若い頃は、今以上に「ふらふらよろよろ」「猪突猛進」だった。20代でスペインへ渡り、当時はスマホもインターネットもなく
「一体、何をしているのか」
消息不明の娘。だったと思う。突拍子もない言動、衝動的な行動の連続で「まるで理解できない」ことも何十回とあったはず。それでも、信じてくれたからこそ
「私は全力で『夢』に向かって命を注ぐことができた」
スペインで音楽屋になること。そして6年前から、アートを人生の中心に据えて生きている。勢いと覚悟、情熱はあるが、条件だけ見たら
「何言ってるの⁉︎」「経験も技術も知識もなく」「無理だよ」「いい歳をして」「これから⁉︎」「何も持ってないじゃん」
不可能リストは続く〜(笑)。確かにスタートからして無謀だった。まず「音楽屋になって」演奏して稼いだお金で「ピアノを買う」。順番、逆だよなぁ。
「お金がなくても、夢を叶えるのに必死」
だった。だから、ピアノが買えるその日まで、電子ピアノや友人のピアノで練習し「毎日ピアノが弾ける日」を夢見て演奏していた。そして
「1年後、ついにピアノを買うことができた」
あの日の歓びは、忘れられない。とはいえ、両親の不安を取り除くような説明もなく「ただ信じてほしい」「必ずやり遂げる」だけで突っ走った。
「私には、他の道がなかった」
「音楽屋になれなかったら」「アーティストになれなかったら」というBプランは、最初からなかった。だから、ブレることはなかったけれど、つぶしもきかない怖さを、この道は秘めていた。
「好きなことをやりなさい」
どんな時も、父は一貫して私の背中を押してくれた。その信頼、安心感が、私を「勇者」にした。思えば、剣も馬も持たずに、古城に住むドラゴンを討ち取りに行くような無謀さ(笑)。ま、結果として
「ドラゴンと仲良くなって、別の展開が〜」
笑。そんなデコボコよろよろ道だった。でも、だからこそ、私の毎日は「夢に挑んだ」かけらで、できている。夢へと続く一本道。たとえデコボコでも、それは花道じゃないかしら。
「夢咲花道(ゆめざきはなみち)」
夢を持ち続けよう。アーティストとしてこの先、どうなるのかわからないけれど、夢はかなえるためでなく
「そこに向かって、まっすぐ歩くためにある」「全力で夢に向かって歩く毎日が、すでに夢の一部」
どんな時も私を信じて、夢に向かって歩かせてくれたお父さん、ありがとう!どうか体を大切にして、長生きしてください。お父さんの娘さんに生まれて、私本当に幸せだよ。
80歳のお誕生日、おめでとう!