20.吹き矢大会とレモンの実

いよいよ、ニッポン滞在も終わりに近づく。豊橋の実家で、父としんみり最後の夕食。のはずが、いきなりレクリエーションの時間(笑)。それも本日行う競技はなんと!「吹き矢」。本格的です。会場は、母やべラのいる和室、および仏壇の横。で、的を狙う。この辺のおおざっぱさが、きみどり家。臨機応変。

「心がこもっていれば、けっこう何をしてもいい」
という、きみどり家の家訓(今、勝手に作った)に従い、全力投球。すぐにやる気になるのがいいところ。私の知らぬ間に、父は近所の「スポーツ吹き矢クラブ」に通い始めており、今や和室は「吹き矢練習場」になっているのであった。

まあ、空いているのだし、母もべラもその方が楽しいと思うし、私だってマラガの家を「作業場」に変えてしまったのだから、似たようなものか。

「それじゃ、まず持ち方だけど・・・」
父は持ち方、吹き方などを、一つ一つレクチャーし始めた。それがどうして、なかなか本格的なのである。何事も基本、約束事というのがあり、それを徹底して先生から教えて込まれているらしい。その立ち姿はなかなか様になっていて、正直驚いた。

「じゃ、まずやってみるね」
まず続けて五投。スパッという鮮やかな音と共に、プラスチックの矢が的に突き刺さる。
「おお~っ」
すごい。まん中に当たっている。実際、やってみてわかったが、この「的に当たった時の音と感覚」というのは、ものすごい快感なのだ。「ゴール」や「スマッシュ」を決め時の感じに似ている。

特に「矢を吹くタイミング」というのは、楽器に通じるところがあっておもしろかった。私はピアノは、腕や指でなく「呼吸で弾く」。吹き矢もポイントは呼吸で、フレーズの弾き始めと、とてもよく似ている。

そうして「新年吹き矢大会」も無事終了。二人だけど(笑)。
赤ワインで乾杯しながら夕食。そのうち、庭に今年「実をつけたレモンの木」の話になった。レモンが大好きなべラのために、母が大切に育てていたレモンの木。そこに今、食べ頃の二つの実がなっている。結局、この実を母が見ることも、べラが食べることも、なかった。

「取って食べようよ、せっかくだから」
と言うと、父はしばらくして
「食べるレモンなら、そこに買ってあるよ」
と答えた。私が意味が理解できないでいると
「あそこに二つの実がなっているのを、見るのが好きだから」
と、何か大切なものをいとおしむような口調で、ぽつっとつぶやいた。

その瞬間、私は理解した。
父にとって、あの二つのレモンの実が、母とベラであることを。
そして、うちの庭で一緒に暮らしているのだということを。

私たちは、愛する者といつも一緒にいる。目には見えないけれど、その存在をしっかりと感じ取って生きている。いつもべラが言っていた言葉をふいに思い出す。
「覚えていてくれる人がいる限り、その人は生きているんだよ」

摘み取られなかった二つのレモンの実。私たちは、庭のレモンにさえ、愛する者の存在を感じることができるのだ。それは、なんという神秘なのだろう。

母とべラはこの世から、私たちの心に居場所をかえた。だから、私たちは生きていく。前を向いて。より強く。よりたくましく。よりシンプルに。
私の心にいつもあふれている黄色と緑。私に見える世界、感じている世界を、絵にしていこう。

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