12. 鎌田さん&エネルギーの贈り物

名古屋三連泊も無事、終了。再び豊橋の実家へ。昨年、母が亡くなってから、日本に帰るたび「家の物の整理」をしているのだが、まあ、いつのまにこんなにいろいろ、物がたまっていたのでしょう。

母の思い出の品を整理するつもりが、気が付いたら「本およびアルバム」の大整理に。よくある方向転換(笑)。それにしてもアルバムというのは恐ろしく重く、とても軽々しく片手なんかでは持ち上がらない代物。

で、アルバムの整理なのであるが、少々無情にならないと、写真の整理などとてもできないのであった。なにしろ思い出の品々なので
「あー、ここ行ったよねぇ」
「この人、おぼえてる?」
「うわー、若い!」
などやっているうちに、あっというまに時間が過ぎてしまう。これはさくっと捨てなければ、とても進まない。

で、父と二人して、アルバムを大整理。たぶん二十年ぶり、いや三十年以上か。昔のアルバムって、写真が台紙にひっついてしまっていて、はがすのが一苦労。そんな折、電話が鳴った。

「今から行ってもいい~?」
いつもの陽気な声。それは母の親友で、蒲郡市からいつも車を飛ばして来て下さる鎌田さんだった。「笑顔」を届けに。何度、母はこの笑顔に救われただろう。何度、大変なとき、きっと私たちにも言えないようなことを、鎌田さんにはつぶやいていたのだろう。鎌田さんはもちろん何もおっしゃらないが、二人が過ごした長い時間、分かち合った思いが、透けて見えるような気がする。

そんな、母の親友の鎌田さんが、母のお参りに来てくださった。この十二月で、母が他界して一年になる。今も和室は母の物でいっぱい。大好きな花に囲まれ、母とべラは並んで笑っている。

鎌田さんからは、ピアノ教室の子供たちが大好きな「紙風船」をはじめ、べラも大好きだった「味のり」など、いろいろなお土産をいただいた。

私の人生は「いただきもの」でなりたっている気がする。だから、ありがたい。だから、力が出る。そうなのだ。「いただきもの」には、その人の「思い」が宿っている。だからもう、それは「物」ではなく、純粋なポジティブな「エネルギー」なのだ。

エネルギーの贈り物。日本に帰るたび、私が充電されたような気持ちになるのは、そのせいだ。みなさんから手渡されるお土産。それは、たくさんのエール。たくさんの笑顔。その一つ一つが
「がんばれ!」
と、語りかけてくれているような気がする。

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