5.通りで出会い、通りで再会

今回の日本滞在で、私がどうしても合わなくてはならない人。その人は寒空の下、プラカードと拡声器を手に、通りに立っているはずだった。私たちは半年前、「大須の通り」で出会い、今度は「名古屋地方検察庁前」の、やはり「通り」で、再会する。

「通り」が結んだ縁。半年前、展示会&ライブペイント・ワークショップの大荷物を抱え、身動きが取れなくなっている私を、「ももさん!」と、会ったこともないのに声をかけてくれ、一緒に荷物を会場まで運んでくださった。その人が、喜邑(きむら)さんだった。

その後、スペインへ帰った私はfacebookを通して、喜邑さんの息子さん・喜邑拓也さんが、冤罪に問われていることを知った。学校の教師をしている拓也さんは、生徒の体に触ったとして、わいせつ罪の濡れ衣を着せられ、「事情を説明する機会を与えられないまま」「実名報道」され、そしていきなり「逮捕」に至った。

よくよく聞けば、現場となったのは「生徒が沢山いる場所」で、一人の生徒にわいせつ行為を行うなどできるはずもなく、さらに6,7歳の子供たちの行動をよく知っていれば、「首に手が当たる」ことなど、日常茶飯事。

私自身、ピアノ教師をしていて、毎日三歳から十三歳までの子供たちを相手にしているが、彼らは体ごとぶつかってくる。それをいちいち
「先生に触らないでね」
などとやっていたら、授業などとても進まない。また、これは私の実際の経験であるが
「頭をなぜようとして」「頬や首に手が当たる」
「肩を支えようとして」「背中や腰でころばないよう支える」
などは、毎日に近い。彼らは大人の想像以上に、よく動くのだ。

拓也さんに会うのはこの日が初めてだった。穏やかに笑顔を見せて頭を下げてくれたが、ほぼ三十日に渡る連日の取り調べで、精魂尽き果てていたはず。名古屋地方検察庁前には、続々と人が集まって来た。拓也さんの恩師、先生仲間、その中でひときわ印象的だったのが
「せんせーい!」
「早く帰ってきてね」
という、子供たちの明るい声、くったくのない笑顔だった。まるで一瞬、花が咲いたような温かさに包まれた。担任の先生を慕って、子供たちもやってきたのだ。プラカードを手に、寒い中一時間、ちゃんと立っていた。自分たちの先生のために。その事実を、見てほしいと思う。

会場に集まった方々が、拡声器で思いを訴えた。それぞれの拓也さんを思う気持ちに、涙がこぼれた。子供たちはみんなで声をそろえ
「先生、がんばってー!」
と、笑顔で叫んだ。証拠不十分で起訴できないので釈放。でも「不起訴」にはしない。「不起訴」にならないと、拓也さんは学校に戻れない。先生には戻れない。私は拡声器を持って叫んだ。
「私たちは今、一人の先生を失おうとしています。私たちだけではない。沢山の子供たちが!ちゃんと調べてください、お願いします」

なぜかその時、私の脳裏に自分のピアノ教室の、スペインの子供たちの顔が浮かんだ。その笑顔にもう会えない。不当な理由で。ある日突然。そう思ったら、再び涙がとまらなくなった。

喜邑さんご一家と、その支援者の方々は、今も「不起訴」を勝ち取るために、毎週金曜日の午後三時から、街宣活動を行っています。
一日も早く、不起訴になることを、スペインよりお祈りしています。

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「5.通りで出会い、通りで再会」への2件のフィードバック

  1. ももさん、病み上がりのお身体で
    よくきてくださいました。
    本当にとおりでの出会いですね。
    3度めは、ゆっくりお会いしたいです。

  2. この次は、夏に日本帰国の予定です。
    「展示会」に加え、「ピアノライブ&お楽しみ会」も計画中!
    きむらさんご家族の笑顔に会えればうれしいです。

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