第86話 悲しみのどん底、でも弾く!

オウムのチュッピーが死んで、本当なら数日、家に引きこもっていたかった。
でも、わたしの職業は、それを許してくれなかった。

その日の夕方も、わたしは化粧をして、笑顔で人前に立たなくてはならない。
楽しくなくても、笑うのだ。そして、元気いっぱいで演奏する。
お客さんは、わたしたちの私生活など、かまやしないのだ。
実際、ステージに上がる10分前まで、わたしは沈んでいた。
でも、夏休みで帰ってきたコントラバスのエルネストが、特別出演してくれるとあって、
「今日は、思いっきり
Jazz楽しもうね!」
と、言い合っていたところだった。
「ベンガ、アリーバ!(さぁ、いくぞ)」
と、ベラが声をかける。
「バモス!(行くぜ)」
わたしは、二人に押し出されるように、舞台に上がった。

『世界の名曲コンサート』は、ショッピングセンターの屋外に設置された会場で、無料で行われている。
立ち見もよし、会場の周りに並ぶ飲食店で、飲んだり食べたりしながら音楽を楽しむもよし。

わたしたちは、いつものようにクラシック、Jazz、ジプシー音楽、タンゴ、ボサノバ、映画音楽などを幅広くカバーして弾いた。
「次はJazzの名曲、ラス・オハス・ムエルタス(枯葉)」
最初はテーマを弾き、あとはバイオリン、コントラバス、ピアノと自由に好きなだけアドリブする。
2人が終わり、さぁ、わたしの番。いつもなら1分くらいで、また次に回すんだけど、
そのときあまりに、悲しみに打ちのめされていたので、すごい勢いで弾きはじめた。
自分でも驚いたが、『叩きつけるように弾く』ということは、それまでなかった。
もう、すべてがどうでもよくなっていたので、わたしは怒り狂うように弾いた。
そのときはじめて、演奏中にベラもエルネストも、お客さんも、誰もいなかった。
わたしは、わたしの悲しみ、怒りとだけいた。
時間も、肉体もなく、ただ、自分の思い、突き上げてくる衝動とだけ、いた。

だから、どれくらい弾いていたのか、わからない。ただ全身、ぬけがらみたいになって、顔をあげたら、ベラとエルネスト笑っていた。
「もも、のってるなぁ~!すごいよ」
どうにでもなれ、と思って弾いたのに、お客さんからも大きな拍手をいただいた。

この体験で、つくづく思ったのは、ドゥオやトリオで弾くのって、いいな、ってこと。
舞台の上である意味、丸裸になるとき、すぐそばにいてくれるのだ。
言葉でなく、音楽でわかりあう。助けあう。思いを共有する。
わたしは『枯葉』を弾いているあいだ、自分が守られ、抱きしめられているのを感じた。バイオリンと、コントラバスに。

「だいじょうぶだよ、思いっきりやってごらん」
「何かあっても、すぐそばにいるよ」って。

そして、あまりに悲しみや怒りにとりつかれていると『失敗がこわくない』という事実を知った。
まちがいだとか、そんな小さなこともうどうでもいい、生きてるんだから。って。

大切な人の死は、わたしたちの心の『悲しみや怒りの源』だけど、自分の心の持ち方しだいで、
それは『勇気の源』にも、することができるのだ。
なんという魔法だろう!

チュッピーが、わたしに教えてくれたものは、たくさんある。
命について、死について。
悲しみのどん底で、弾くということ。
そして、他の誰でもない『わたしの家族』になってくれたこと、そのために数年間、わたしといっしょに人生をおくってくれたことを、なによりもありがたいと思う。

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