ぐる夢花道

【一日一作プロジェクト】水差しにペイントして「ぐる夢花道」を作った。5年前、ベラが他界し、音楽屋をやめ、生活とアイデンティティが足元から崩れ落ちた私に

「お正月は、おせち料理を一緒に食べようね」

と、母が言った。それまで数年、日本帰国はベラと一緒だったので

「実家の食卓は4人で囲む」

のが習慣になっていた。1人欠けるだけでも、テーブルはまるで違って感じられるだろう。

「今年のクリスマスと年末年始は、久しぶりに3人で過ごすなんだなぁ」

そう思いながら、12月の帰国を待った。でも。実際には、その日は来なかった。母がクリスマスの直前に、病気で亡くなってしまったから。父と私は

「2人が欠けたテーブルで」

クリスマスを迎えた。ベラと母と。わずか3ヶ月の間に、大きな2つの柱を失った私は

「まだ父がいる」

と思った。そして次の瞬間

「私の方が伴侶を亡くした先輩だ。父のよき理解者になろう」

と思った。そう立ち位置を変えた瞬間、私は「母を亡くした娘」から「父の理解者」となった。

その明確な意識、役割の認識が、今思えば、母の入院中や葬儀の際も、私をまっすぐに立たせていた。気がする。

「あの時を思えば、何でもない」

そういう瞬間を、私たちは誰もが持っている。「ベラを最期まで自宅で看取った私」だからこそ、母の時には毅然とのぞめた。

クリスマスが近づくと「あの年の自分」を思い出し、胸がざわざわする。喪失感の中で、燃えるような覚悟で仁王立ちしていた47歳の私。

「これから、アートで生きていく!」

その決意だけで、立っていた。経験も、知識も、技術もなく。情熱と覚悟だけで、荒波に乗り出すと決めた。不安を感じる余裕さえなく。だからこそ、今の平穏に感謝。

「毎日が、誰かの命日」

生かされていること。家が、食べ物が、ベッドがあること。眠れること、息ができること。それら全てに感謝して。

「ぐる夢花道(ぐるゆめはなみち)」

捧げものアート。水差しにペイントして。ぐるぐると道は続く。回り道、でこぼこ道でも、明日へ、夢へと続くたった一つの花道。

今の私は家族友人の命日に、花や果物の代わりに、アートをお供えしている。「これで残りの人生を生きていく」という覚悟。自分への約束として。

お母さん、私全力で生きてるよ!お父さんと私を見守っていてね。

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