日本のおやつ箱

日本の両親から、両手におさまる玉手箱サイズの「小包」が届き、
開けてみると、ぎっしりとすきまなく食料がつまっていた。
「ああ~、食べ物だぁ!」
今のわたしたちにとって、それはまさに「救援物資」であった。

スペースを最大限、利用するために
ありとあらゆる食料品のパッケージは見事にはぎとられており
テープで道中、中のものが動かぬようしっかりと固定されていた。
「だし、ごま、ふりかけ・・・」
と、テーブルの上に並べていると、べラがやってきて
「あれ、これは何?」
さすが、連日の「粗食」に耐えているだけあり、嗅覚がするどい。
実は、こっそり食べようと思っていたのに。
「なごやん」
「食べていい?」
「1個だけだよ」

貴重ななごやんを「あっ」というまにたいらげたべラは
もう、次の獲物を物色している。
「これ、何?」
「ええっ・・・」
なぜ、そっと取っておきたいものばかりを、指名するのか。
「これ?・・・どらやき」
「食べていい?」
「・・・・・・・」
少し考えてから、答える。
「だめ」

その理由はなかったが、こんな貴重なものを、
軽くふた口で食べられては困るのだ。
日本にいるときは許せても、スペインでは許されない。
それも、この不況のときに。気持ちは「戦時中」なのだ。
食料は大切にしましょう!

「砂糖がいっぱい入ってるから、おさんぽのときに持っていこうね!」
「はーい」
べラは、素直に答えた。

わたしたちは1日1回、近所を歩くことにしている。
まぁ、ごみを出すついでとか、食料品を買うついでなのだが
そうしないと、気がついたら一日中、ピアノや机の前に座っていた、
ということがあるから。

「もも~、おさんぽ!」
べラが日本語で言いながら、イニシアティブをとる。
編曲の手をとめ、ジョギングシューズにはきかえる。
「公園に行こうか」

わたしたちは人目もはばからず
「うう~っ」「ああー」と言いながらながら、固い体を曲げたりのばしたりした。
そのときであった。べラがポケットから何かを取りだした。
「日本のお菓子、食べる時間だよ!」
「ええっ、持ってきたの?」
「はい!」
と、なぜか答えるときは、日本語になっている。
「とみ子さん、おいしいです。ありがとう」
目の前の花壇に向かって、べラは何度も頭をさげていた。
その姿を見ていると、なんだか不憫で
「これはなんとしても、おいしいおやつを作らねば!」
と「ぜいたく貧乏食堂」のシェフとして、思う。

その日から、居間のテーブルの一角に「日本のおやつ箱」ができ、
おせんべいやおこし、おつまみ豆などが、
目とおなかを楽しませてくれることになった。
が、しかし、である。
なにかが、おかしい。
なにかが、足りない。
箱を見るたび、おやつが少しずつ、減っている。

「不思議な現象」は、それだけではない。
オウム用の「ピーナッツ」や「クルミ」が、
最近、少しずつ減っているのである。
「まさか・・・・・」

マテ茶を「チューチュー」と、吸い上げるベラを見ながら
一日も早く、おいしいおやつを開発せねば、と強く思った。

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「とみ子さん、ありがとう!
 おいしいです。」

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