第57話 あいまいでないマラガの私

スペインの大半は“ブタノガス”が供給されている。
それでも住民はボンボナというガス缶を“自分で”買う。
日本と違い“24時間一年中ノンストップ”で
送られてくるわけではないのだ。
しかも、“ガスの終り”を知るのは、事前ではなくて料理の途中だったりする。
「あっ、火が消えてる。ガス終っちゃった!」
と知るのだ。

料理中ならまだ良い方で、最悪は(かなり頻繁に起るのは)シャワー中、突然…。
それも冬シャンプーで頭を泡泡にした瞬間
「ス──ッ」
と一気にお湯の温度が下がっていく。
「あっ、待って待って!」
と叫びながらせめて頭だけでも!とすごい勢いで洗いにかかるが、
あまりの寒さに結局、泡はそっちのけでバスタオルにくるまりブルブル。
共同生活をしていると
「ブタノかえて──!」という叫び声を
よく聞くが、これは突然のガス切れに備えたガス缶がある場合だ。
この取替えができない「私、知りません」なんていうのは
このマラガ下町では許されないのだ。

こういう“許されない”ことのいくつかにマラガでの生活の中で出会っていく。
例えば、何でも“ハッキリさせる”マラガ人は
「ジュースに氷入れる?」とは聞かない。
「氷いくつ入れる?」と聞く。
こんなことたずねられたことのない日本人はたいてい
「えっ…いくつでも」と答えてしまうのだが
それでは場がザクザクしてしまう。
「いくつでも…1つと5つはだいぶ違うけど」
と困惑顔。そういう時ウィンクなどしながら
「2つお願い、とびきり冷えたヤツ!」
「まかせて。おっ、この2つ最高に冷えてるよ」
って心底うれしそう。

そんな風にものごとをハッキリさせたがるマラガ人にとって
日本人の“お断りの常套句”は実に不気味なようだ。
「いや、日曜日はちょっと…」
日本人はこれで断わったつもりでいるがマラガ人にとっては
まだ返事を聞いていないので10秒位待った後
「で、ちょっと何なんですか?」

他にも
「いや、今日はちょっと疲れてるんで…」
これも同様。
疲れてる(身体)とガナ(やる気)は全く関係ない。
文章の最後に「~したい」「~したくない」というハッキリとした言葉で意思表示を聞かない限り
マラガ人にとってはいつまでも意味不明なのだ。

そんな意思表示をハッキリしなけらば気がすまないマラガ人だが
いいことだって沢山ある。その一番に挙げたいのが
“アブラソ(抱擁)”と“ベソ(頬への親愛のキス)”の習慣。
家族はもちろん友人、知人、会うたびに、別れるたびに
「おおー」「ああーっ」ってうれしそうに
一日何回も繰り返す。

毎日のあいさつがこれなのだから、すごくうれしい時
また反対に悲しい時など大変だ。
「ああーっ!」「ううーっ!」って言葉より先に身体が動いている。
体温って、信頼する人の腕って、人をどん底から引きずり上げる力を持っている。
私自身、何度このぬくもり、思いやり、安心感に助けられてきたことか。
どんな言葉より、人間が一番必要としているのは、
その一時(いっとき)の愛情こもったアブラソだ。

アブラソは“一人じゃないよ”であり“泣いてもいいよ”であり
“何も言わなくてもいいよ”であり“私はここにいるよ”
“あなたのことを大切に思っているよ”でもある。

そんな私は日本に帰るたび、アブラソしたくて仕方がないのを
「ぐぐぐっ」と必死で押さえている。せめて「握手させて!」ってお願いするけど
本当はとびつきたくて仕方がない。

一度、飯田線の駅で待ち合わせた友人から
「遠くからぴょんぴょん跳ねてる人が見えて…こんなローカル線の
駅でおまえ、俺の名前を全力で呼ぶなよ!目立ちすぎだよ」
と言われたことがあった。
それでもまだ抱きついてはいないのに。

だって数年ぶりにやっと会え、これからまた先、いつ会えるか
わからないのにそんな友人たちを前に
抱きしめることもできないなんて、習慣とはいえあんまりだ。
と言ったらベラ
「スペインに連れて来ちゃえば?」
って名案だ。
アブラソ、ベソ攻撃に呆然と立ち尽くす友人たちを想像して
ひとり「ひふふふ」とうれしくなってしまった。

(第58話につづく)

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