ニッポン帰国のこと・1

昨年の12月中旬から
今年の1月上旬まで
「ニッポン帰国」をした。

今回は恒例の
ライブもお食事会も
観光もなし。

理由は二つ。
一つ目は、ベラがいないこと。
そして二つ目は
母が「緊急入院」をしたからだった。

昨年はずっと
体調がすぐれなかった母。
検査の結果
肝臓がんであることが
11月にわかった。

もう手術はできないので
本人も私たちも
できるだけ家で
マイペースで生活できるよう
痛みがないよう
緩和ケアの方向で進めたいと思った。

たぶん、ベラのことも
母の頭をよぎったのだと思う。
痛みを和らいでくれる
眠らせてくれるモルヒネの投与を
時が来たら
迷わずに始めることを
私たちは、心に決めた。

母は自分の余命が
あまりないことを
自分の体調を通して
感じ取っていたのだろう。

調子がいい日は
買い物に出かけたり
お友達と電話をしたりして
自分に与えられている時間を楽しんだ。
そして、その一方で
一人静かに
自分が逝くときの準備をしていた。

荷物を整理し
最期に着せてほしい服や
自分の棺に入れてほしいものなどを
はっきりと私たちに向かって告げた。

それでも
私はまだ年末年始は
いっしょに過ごせるだろうと
思っていた。

20年ぶりの日本のクリスマス、
年末年始、お正月。
最後に家族で過ごしたのは
いつだったろう。
私がまだ20代の頃だったはず。
よく思い出せない。

母は私の帰国にあわせて
豪華なおせち料理を注文し
「ベラちゃんを忘れずに
連れて帰ってきてよ」
と、電話の向こうで笑った。

ベラの希望で
遺骨の一部は日本の海へ、
そして一部は豊橋の実家へ
納められることになっていた。

私たちは去年
ベラといっしょに行った
伊良湖の海岸で
「散骨式」を行おうと決めていた。

「来年はここでみんなで釣りをしましょう!」
と去年の11月
私たちを笑わせてくれたあの海岸。
散骨式の後は
伊良湖ビューホテルで一泊し
去年の家族旅行を思い出しながら
ベラのお別れ会をする。
そのはずだった。

それが12月上旬に入り
母の容体が悪化。
緊急入院となった。

すぐにでも飛んで行きたかったが
これまでのように
「べラに後を任せて」
というわけにもいかない。

まだベラの書類の処理も
終わっておらず
スペインを発つ前日の
夜9時すぎまで
私は弁護士と書類を前に
打合せをしていた。

休日なのにうちまで来てくれ
自分が両親を亡くしたときの
話をしてくれる弁護士のMさん。
「今でも泣けてくるよ」
と、声をつまらせ
「本当は僕、獣医になりたかったんだ」
と笑った。

そして別れ際
私の肩を抱きしめ
「マラガで待ってるからね」
と、力強く言ってくれた。

そして私は、日本に向かった。

(明日につづく)

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「ニッポン帰国のこと・1」への2件のフィードバック

  1. ブレイキングニュース!
    今朝5時半に、マラガで地震がありました。
    かなりの時間はっきりと揺れていて、マグニチュード6.3。
    うちのオウムが泣いて大変でした。怖かったんだろうなぁ。

    震源地は地中海。それもマラガとお向かいのモロッコの
    ちょうど間の海らしい。
    今のところ大きな被害は聞いていませんが
    これまで「マラガに地震はない」と思っていた分
    意表を突かれ、こわかったです。
    最初は「自分はめまいがするのか」と思いました。

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