ベラのこと・1

べラのことを書こうと思ったのだが
「はて、どこから」と
思わずペンが止まってしまった。
って、マウスだけど。

つい2週間前のことなのに
もうずっと前のことのように感じる。

そしてベラを看病していた頃は
一日が一週間
一週間が一か月くらいの密度で
感じられた。

集中して全力で
緊迫した環境の中で生きてると
あらゆることに意識がいき渡る。
そのとき
「時間は流れていくもの」でなく
「瞬間を生きる連続」になる。
時間って、不思議だ。

ベラはマイペースで
いつもの生活を続けていたが
私は顔こそ笑っておれ
戦場の第一線で
銃撃戦をくりひろげる戦士のような
緊迫した毎日だった。

なにしろ毎週
新しい症状が現れる。
薬の種類や量がどんどん変わっていく。
そのたびに時間割が変わる。
医師から聞かされた
「平均余命6か月」が
わずか1,2週間で
「3か月」になる。
そして「1か月」に。

7月上旬に告知を受けてから
私は毎日、泣いていた。
買い物や薬局や銀行に行くと
つまり一人になると
涙が止まらなかった。

この2か月半
泣かない日は、なかった。
そして今、べラが他界して
やはり私は泣いているが
「涙」の種類がちがうことに、気づく。

前はベラの痛みに苦しみに
べラを失う絶望感に、泣いた。
今は、ベラの不在が
懐かしく恋しく
悲しくて寂しくて、泣く。

孤独ではあるが
前のように
内臓が口から飛び出そうな
絶望感や恐怖は、ない。

やるべきことを全力でやった、という満足感。
ベラの願をかなえられたという
「FE(フェ)」(平穏)が
私の心に訪れた。
この2週間の間に。

今はまだ、思い出すとつらい。
何気なく、ベラの不在に
気づかされるたび
涙が出る。

でもベラを
「痛みの源」ではなく
「思い出の源」に変えていくのが
私に課せられた仕事なのだ、と
最近、思う。

べラは
笑っている私が、好きだった。
いつも執りつかれたように
何かを集中してやっている私が。

だったら、そう生きていくのが
私の責任でも、ある。

昨日、洗濯物を干しながら
青い空を見上げた時
べラの声が聞こえるような気がした。
「もも、絵は描いたの?ピアノは弾いたの?」
いつも怒るように、そう言う。

「どんなときも自分の
ルティーナ(日常習慣)から
離れちゃいけないよ」
べラはどんな大変なときも
必ず毎朝、バイオリンを弾いていた。
涙を流しながら弾いていたのを
見たこともある。

「自分のセントロ(中心)から
絶対に離れちゃいけない」
何百回、何万回と
聞かされた言葉だ。

私は、ピアノに、絵に、文章に戻る。
2か月ぶりに。
これから毎日
ベラの言葉を実践していくこと。
それが私に課せられた仕事、
役割なのだ。

看護に追われ
ピアノも弾かず、絵も描かず
夜まで家事をする私に
ベラは怒ったように言った。
「どうして、弾かないんだ。
どうして、描かないんだ!」
そんな状態じゃない、と私は言いたかった。

「家事なんか、しなくていい。
僕はアーティストと一緒になったんだ。
洗濯婦や料理人なら、雇えばいい」
私は芸術なんかやめてもいいから
ベラの世話がしたかった。
ベラのそばにいたかった。

「泣いてないで、弾きなさい。
描きなさい。
僕のせいにしないでよ」
私は、思わず声を上げて
泣き出してしまった。

それから私は
弾き出し、描き出した。
ベラが寝ているとき
その横で絵や詩、言葉を。

「音楽~」
と寝室で叫ばれるたび
小学生の頃習っていた
「バッハのソナチネ」や
中学生の時に好きで弾いていた
「ショパンのワルツ集」なんかを
引っ張り出して弾いた。

すると、不思議なことが起こった。
何も考えず、ページをめくって
練習曲を弾く。
上手にとか間違わないようにとか
一切考えず
ベラのラジオがわりに
30分、1時間と、ただ弾く。
すると、どうだろう。
私の心はみちがえるように
清浄されているのだ。

「音楽は、魔法の風」
いつもベラが言っていた言葉だ。
「音楽は、僕たちの心を慰め
元気にしてくれる魔法の風なんだ」

ベラのために弾いていたのに
自分の奏でる音楽によって
私自身が癒されていたのだった。
そのことを知っていてベラは
「弾け、描け」
と私に毎日
言っていたような気がする。

実際、ペンを握って
カートンに向かっている間
私はすべてを忘れていた。
その数分の間は
涙も出ず、悲しみもなく
私の手によって今
生み出されている線にだけ
集中していた。

そういう「心の置き方」を
ベラは私に伝えたかったのかな、と思う。
「その場所を忘れるな」、と。

私のピアノは
これからどうなっていくだろう。
私の絵は。

まるでわからない。
一人でやっていくことなど
考えたこともなかった。
これから経済的な問題とも
向き合わなくてはならないだろう。

ベラの書類の整理も
始まったばかり。
外国人が、外国で亡くなることの
大変さに直面している。

「10月、11月と2か月は
書類に追い回されることになるよ」
と弁護士に言われ
毎日、銀行、大使館、税務署、
葬儀屋、公証人・・・と
空いた時間を見つけた
かけずり回っている。

すべてが落ち着いたら
12月あたり
日本に帰国したいな、と思う。
ずっと忘れていた
日本のクリスマス、年末年始を
家族で過ごせたら、と思う。

 

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「ベラのこと・1」への3件のフィードバック

  1. ベラって本当にステキな人だ。

    そして、ももちゃん、帰国お待ちしてます。

  2. 何度も読みました。

    互いを認め合う、素敵な関係ですね。
    尊敬します。

  3. 帰国されましたらご連絡してください。
    ひなちゃんとふたりでももちゃんのことを待ってます。
    私には、ベラが、ももちゃんのそばにいる姿が、見えます。
    かな

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