最近、うちのテレビの調子が今ひとつ。
オリンピックやニュース、映画なんかを見ていると
突然ぱったり、『音声』がなくなってしまう。
「耳が聞こえないって、不便だなぁ・・・」
あたりまえだが、改めて耳の存在を実感する。
それでも、スポーツはなんとかなる。
迫力には欠けるが、目で見りゃ、何が起こっているかわかる。
アクションものの映画も、しかり。
問題は、先日『ミケランジェロ』の映画を、見ているときだった。
ミケランジェロの人生の苦悶、自らの芸術に対する葛藤など
どうやっても、映像だけではわからない。
それでも、ときどき『音声』がもどるので
「ああ~なるほど。そういうわけで描くことにしたのか」
「決心に至ったのは、なるほど、そういうことだっだのか」
と想像して、進んでいく。
いよいよミケランジェロの人生、後半にさしかかり、
この映画の最大の見せ場である
『教会の天井の絵画を、はたして描き終えられるのか!』
というところに至った。
そのときであった。
「フッ・・・」
「うそっ」
テレビは、それから2度と『音声』を発しなかった。
「いったい、ミケランジェロはどうなるんだっ!」
「描いてるけどねぇ・・・」
「わかってるよ、知りたいのは『いきさつ』だよ。結果じゃなくて」
わたしたちは、しーんとした部屋の中で、
ひたすら、俳優たちの『唇の動き』を目で追った。
「これじゃ、読唇術のトレーニングだよ」
唇に集中しているので、映画全体は見れない。
そのとき、わたしの頭に稲妻のように、1つの考えが走りぬけた。
「ねぇ、今思ったけど、アメリカの中央情報局のシークレット・サービス
(スパイ)部門では、読唇術の特訓するんだよね。
きっと今のわたしたちみたいに、『音声』なしで、映画見てるんだよ。
唇読む特訓するために!」
ベラは、それには答えず、
「じゃ、これからは、手で口をかくして話すことにしよう」
とだけ言うと、ふたたびテレビに向かい、
ミケランジェロの唇を、じっと見つめ続けるのであった。