第7話 私たちのファン現る

ショッピングセンターでの演奏もはや1ヶ月。
そんなある日、演奏を終えた私の元に1人の女性がかけよって来た。
「グラシアス!(ありがとう)」
びっくりして搬出の手を止めると女性は一気にまくしたてた。
「実は離婚したばかりで子供を3人抱えていて途方にくれていた。
絶望的な気持ちで買い物に来た。でも音楽を聴いていたら
元気が出てきた。もう一度がんばってみようと思う。ありがとう」
その瞬間、彼女からではなく私の目から大粒の涙がこぼれおちた。
「こちらこそ、ありがとうございます」
そう言うのが精いっぱいだった。
そのことをベラとエルネストに伝えると
「もも、知ってる? 僕たちのファンがいつもこっそり階段の影から演奏を聴いてるって」
「それも僕たちが機材を搬入するときからもう来て待っていて
必ず最後まで2時間半ずっと聴いているんだよ」

次の日、さっそく2人が言っていた階段の下を何気なく見てみると
「本当だ…」
見るからにホームレス風のおじさんが階段の影に身をかくすようにして立っている。
みんなから見られないようにあんな階段の影で。
私は胸いっぱいでピアノに向かった。
「全力で思いの限りをこめて弾こう!」
何と私はつまらないことに悩んでいたんだろう。15年以上放っていたために
思うように動かない指や技術や知識のないことなんてどうでもいいではないか。
大切なのは今、今日、この瞬間、この場所で共に生きているということだ。
この一瞬を私たちは共有している。 名も知らない人たちが音楽で結ばれている。
その事実! それ以上に大切なことがあるだろうか。
これぞ“マラガ下町コミュニティ”の神髄ではないか!
「もも、のってるね〜」
エルネストがウインクを返す。
その日から私にとって音楽は“思いをこめる”ことになった。
上手に弾くことではなく、めざすのは“思い入れたっぷりのピアノ道”なのだ。
それが脳天から打ちこまれ悩みはぶっとんだ。
これまで自分のことだけを悩んでいた私。
誰もが誰かに必要とされている。
誰もが誰かの“太陽”なのだ。
今のありのままの、できないだらけの自分のままで、すでに太陽。
自分がしてあげられることだけに集中すればよい!

2ヶ月に渡る演奏を終え、舞台をぐるりと囲むように設置されたバルで
空っぽの舞台を眺めながら祝杯をあげた。
「おつかれ様!」
「サルー(乾杯)!」
「ポル ヌエストラ ムシカ(僕たちの音楽に)!」
反省材料も沢山あるがまずはお祝い。 自分で自分をほめ、ねぎらうのも大事なこと。
大切なのはバランスだ。
緩急、陰陽、静動、泣笑…… その両方がバランスよく備わって調和、ハーモニーを生む。
マラガ下町コミュニティの人たちはこのバランス感覚が抜群によかった。
とくにイヤなことが起こったときのやりすごし方が。
じっと忍耐ではなく、するりとユーモアで体と心をかわしてしまう。
それはまさしく
”闘牛士の身のこなし、仏僧の平常心、売春婦の切りかえの早さ”
なのだった。
バルを後にするとショッピングセンターを散策し始めた。
ちょうどレバハス(バーゲン)まっさかり。お店はどこも
30%引き、50%引きの赤札がはられている。
そのとき、ベラが 「あっ」 と声をあげるなり足をとめた。
誰か想像しただろう。マンションの新しい住人は、そうして突然やってきたのだった。

(第8話につづく)

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