とくばあちゃん&己城

【一日一作プロジェクト】「己城(おのれじょう)」を作った。先日、祖母が亡くなった。102歳の大往生だった。お葬式には行けないので、海に向かって手を合わせた。

「とくばあちゃん、ありがとう!」

大きな影響を与えてくれた祖母。小さな頃から、時々祖母の家に預けられていた私は、4、5歳の頃から

「わらび取り」「きのこ狩り」「畑仕事」「裏山歩き」

をする祖母の後をついて回った。「目玉焼きを作る」時は、冷蔵庫ではなく「鶏小屋」へ。柵の中へ入り、産んだばかりの卵を腰を曲げて拾い上げる。

「バサバサバサッ」「キキーーーッ」

襲いかかる(ように見えた)鶏たちが、子供の私には恐ろしかった。でも、全力で獲得した卵の味は格別だった。そこに醤油をかけるのを教えてくれたのもおばあちゃん。そして。おやつはいつも

「さつま芋やとうもろこし」

「これは甘いぞ〜」と自信満々のおばあちゃん。縁側に座り、熱々をほおばって。夜になると、近くの公民館まで祖母に手を引かれ40分かけて歩いた。

「ももちゃん、これから踊りに行くんだよ」

踊るのが大好きだった祖母は、民謡やフォークダンスを踊るために、何十年もダンス教室に通っていた。盆踊りの時期になると、いつでもどこでも「はいはい〜」とすぐに参加。子供心に

「いつでもどこでも踊れるおばあちゃんはかっこいい」

と自慢に思っていた。そしてついに。イタリアのフィレンツェまで「県の文化交流」だか何かで、踊りに行ったのだ(驚)。小学生1年生なると、祖母は私に

「成せばなる、なさねばならぬ、何事も」

をくり返し暗唱させた。そして、中学生になると

「自分の城は、自分で守る!」

という、私の人生で「もっとも多く繰り返した言葉」を贈ってくれることになる。スペインへ渡り、黒マーカーで紙に書いて壁に貼り、まさに何百回と唱えてきた魔法の呪文。辛い時大変な時、いつも私を奮い立たせてくれた。

「己城(おのれじょう)」

祖母への感謝を込めて。捧げものアート。「自分自身が城」「自分は自分で守る」ことをしっかりと教え込んでくれた祖母。

「もも、外国へ行こう!」

私を最初に海外旅行に連れ出してくれたのも、祖母だった。マレーシア、シンガポール、フランス、スイス、ドイツ、メキシコ・・・全て祖母と「農協ツアー」で参加した。

「メキシコのピラミッドの頂上から、祖母と一緒に見た密林」

あの光景は忘れられない。祖母と肩を並べながら「この景色を、おばあちゃんと見られる孫はそうそういない」とぞくぞくしていた。なにしろ

「恐ろしく急なピラミッドの階段を自力で登り、降りなくてはならない」

のだから。そんなすごいばあちゃんは、なかなかいない。半分以上の人が登るのを見送った中、ツアー最年長の祖母は迷うことなく、するすると猿のように登って行った。

「よくこんな物を作ったなぁ。もも、よく見とけよ」

見渡す限りの密林。緑の中からポツンと頭だけ飛び出したピラミッドの頂上。そこに腰を下ろし、祖母と肩を並べながら、私はひたすら感動していた。

「景色より、世界遺産より、祖母に!」

おばあちゃん、たくさんの種を私の心に植え付けてくれてありがとう。その種から、音楽やアートという「芽」が生まれ、己を貫くという「道」が育ったよ。

畑仕事が大好きで、いつも土の匂いがしていたおばあちゃん。医者から「歩き過ぎ」と言われるほど活動的で。おばあちゃんの住む岐阜の山奥に遊びに行くのが大好きだった。これからは天国で思う存分、踊って野菜を作ってね。そして最後に。

私のお母さんを産んでくれて、ありがとう!

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