母の誕生日&遊咲ピアノ

【一日一作プロジェクト】母の誕生日への捧げものアート「遊咲ピアノ(ゆうざきピアノ)」を作った。母の希望で、私が2歳になるとオルガンが、3歳になるとピアノが届けられた。

「父が車を買う前に、ピアノ」

すごいな(笑)。お父さん、ごめんね。3歳の私には、ピアノのイスも鍵盤も高すぎて届かず

「台に登って、椅子に座った」

その足おき台も、母が作ってくれた。練習中、よく母は「そこ、いつも間違えるから気をつけて〜」と別の部屋から叫んでいた(笑)。小学生になると、熱で学校を休んでも

「ピアノは弾ける」

と母は言い切り、パジャマ姿でよろよろと弾いていた。記憶がある。それでも、学校の音楽室で友達と歌謡曲や映画のテーマ曲、テレビ番組の主題歌なんかを弾くのが大好きだった。当時はインターネットもないので

「音楽を聴こうと思ったら、レコードを買うか、弾くか」

しかなかった(笑)。なんちゅう2択。一度「Gメン75のテーマ」をリクエストされ、イントロから弾いたら「あ、あ、ありがとう〜。まさかテレビ以外でこの曲が聴けるなんて」と、涙ながらに感謝されたことが(笑)。今はYouTubeですぐやん。

「ももちゃん、習字を習いましょう」

小学1年生になると、母は私を「習字教室」に連れて行った。結果的には6年生まで6年間。そのおかげで

「緩急やバランス、流れ、調和、フレーズ」

といったものを学んだ。音楽と習字に共通しているものは沢山ある。その中でも、1番大切なのは「呼吸」だと思う。

「楽器は呼吸で弾き、書は呼吸で書く」

のだ。音大も行かず、芸大も行かず。それでも「ピアノと習字」という種を、母は授けてくれた。芽が出るまでに、かなりの時間はかかったけれど。

「遊咲ピアノ(ゆうざきピアノ)」

たくさんの贈り物をしてくれた母へ。感謝を込めて捧げものアート。母にとっては「得体の知れない娘」だったと思う。あまりにも常識からかけ離れ、理解の外にあって。それでも周りの女友達に

「あの子は『辛いとか苦しい』とか1度も言ったことはないよ。外国で生活するのは大変だろうに」

そう言ってくれた時は、本当にうれしかった。その言葉を、私の「心のお守り」にしているよ。おばあちゃんがそっちに行くから、長いおしゃべりを親子で楽しんでね。

お母さん、お誕生日おめでとう。感謝の気持ちを込めて「遊咲ピアノ」を贈ります。お父さんと結婚してくれて、私を産んでくれて、本当にありがとう!

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