脱皮レポート・3

昨日の続き。「脱皮症状」はまだまだ続く。「デジタルピアノ」を手放した後は、いよいよ「楽譜」である。

うちにある楽譜には、大きく分けて三種類ある。
「私関係、べラ関係、そしてピアノレッスン関係」

「ピアノレッスン関係」は、とりあえず使用中なのでそのまま。そこでまず「私関係およびべラ関係」に手をかける。

この中にもざっくり二種類ある。
「演奏していた曲およびいつか弾きたい曲」
「全く興味のないものおよび練習曲集」

まずは、後者をばっさりいく。
たちまち目の前に、二つの山ができた。さらに絞り込む。

自分関係の楽譜はかなり即断できるのだが、一番困ってしまうのがべラ関係の楽譜。
「これをいつも練習していたなぁ」
「この曲を来年、弾きたいって言ってたっけ」
などと、つい手が止まってしまう。

「いかんいかん。本当に取っておきたいものだけ」
うちに置いておいても仕方ない。この楽譜が奏でられることは、もうないのだ。それより誰かに役立ててもらった方がいい。

「にしても・・・すごい量」
運ぶだけで腕が筋肉痛になりそう。楽譜って束になるとけっこう重いのだ(写真一枚目)。

「仕分け、梱包は明日にして今日はもう寝よう」
と、ベッドに入ったその夜のことであった。いきなり目が覚め、時計を見れば夜中の三時すぎ。

基本的に私は朝まで目が覚めないタイプなので、こういう時は
「トイレかお告げ」
と決まっている。

「いったい今度は何なの?」
しばらくベッドのふちに座って、ぼーっとしていると突然、その「映像」は届けられた。

「楽譜に落書きのように描かれた絵」
それはキャンバスの代わりに、楽譜の上に描かれていた。たぶん過去にどこかで、そのようなスケッチを見たのだろう。

それが「記憶の森」にしまわれていて、今夜いきなり引っ張り出された、という感じ。

「そうだ!楽譜って描けるんだ」
その発見は、歓喜となって私の全身を貫いた。

楽譜を処分する(たとえあげるにしても)のは、やはり心が痛む。特にべラの古い、骨とう品のような楽譜を見ると、はたして手放していいものか心が揺れる。

そんな迷いや「なんとかしたい」気持ちが
「楽譜をアートに生まれ変わらせる」
方法を思いつかせて、というか、思い出させてくれたのだろう。

「ってことは、あれ全部キャンバスなんだ・・・」
そう思うと、急に宝の山に思えてくる(笑)。あれだけあれば、心おきなくバンバン描ける。再びベッドにひっくり返ると、なんだか急にわくわくしてきた。

「音楽を絵にするアーティスト」
というのが、私のプロフィールの一行であり、創作スタイルの一つだ。

だから私の作品には
「極彩色の音玉やフレーズの風」
などがよく登場する。

それで作品のどこかに
「音楽は魔法の風」
と時々、スペイン語で書き入れたりもする。

それは、演奏する時にいつもパンフレットやポスターに使っていたフレーズだ。私自身、音楽に癒され、元気をもらっていたからこそ、18年も演奏し続けることができた。

「音楽は魔法の風」
私たちを抱きしめ、なぐさめ、元気にする。そんな思いを形にしたい、と思って描いている。

これからこの楽譜たちは、アートに生まれ変わるだろう。
もう奏でられることはなくても。私たちの心に「魔法の風」を吹き込んでくれる、と信じたい。
(明日に続く)


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「脱皮レポート・3」への2件のフィードバック

  1. 絵の中に楽譜を取り込んではどうでしょう?
    紙とかキャンバスの上に思い出の曲の楽譜を貼り、その周りにmomoさんの色を散りばめるのです。
    絵と音楽の合体!

  2. いいですね!音楽と絵の合体(笑)。
    コラージュしたり、立体物に使ったり。
    いろいろ試してみたいと思っています。
    結果はまたブログで紹介させていただきますね。

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