第39話 ロングバケーションの収穫

テレビをつければタンゴ、ラジオをつければタンゴ。
さすが本場は違う。ともするとアルゼンチンばかりが目立つが、かの名曲「クンパルシータ」は
ウルグアイが誕生の地だ。

友人のつてを頼りにバンドネオンを探し回った。店から店へ…。
ウルグアイを発つ一週間前にやっと素晴らしい音色のバンドネオンElaを
手にすることができた。

物としてのお土産はバンドネオンとマテ茶。
あとはみんな心の中にあった。

*トウシーとロベルトとした庭でのアサド(バーベキュー)
*サンタルシア川での魚釣り。
*トリスタン・ナルバハのどろぼう市。
*プンタ・デル・エステ(ウルグアイ一の高級リゾート地)への一泊旅行。
ただし、宿泊したのはその手前にあったキャンプ場の山小屋。
*モンテビデオ一高い丘(この国に山はない)エル・セーロから
見たモンテビデオの全景。
*港のレストランで食べた分厚い牛肉のステーキ。(ウルグアイ
アルゼンチンの肉食ぶりったらひとり1キロは食べるのだ)
*レコック公園を散歩していたらどこからか現れたリャマ(ビクーニャ)の家族。
放し飼いだ。サンドイッチを少しあげたら、ずっと近くで遊んでいてくれた。
*プンタ・バジェナにあるウルグアイ人アーティスト、パエス・ビラロの家、兼
ミュージアムは本当に素晴らしかった。一週間ほど前飛びついて買った絵葉書が
彼の作品であることを知り二重に感激。

他にもピリアポリの近くの自然動物園。
3日間だけ受けたバンドネオンのレッスン。
真夏の2月に行われるウルグアイ一大祭“ジャマダス”は何時間にも渡り
モンテビデオの大通りを40以上あるグループのダンサーとミュージシャンが
激しく踊り演奏しながらパレードするのだ。
「今度来る時はあれに参加してみたい!」
感激に身を震わせている私にベラは
「どうしてももは“黙って見ている”ということが
できなんだ、ああー」
と頭を抱えるがトゥシーに
「私が手伝ってあげる」
と軽くいなされ
「もう口にも出さないで。ももが言うと実現しそうだから」

瞬く間に3週間が過ぎ、トゥシーとロベルトに見送られ、モンテビデオを後にした。
これからブエノスアイレスへ船で戻りスペインへ帰る前に
ベラ30年来の友人であるエテルと3日間過ごすのだ。

港へ着いたとたん
「ベラ──ッ!!」
と遥か100m先で飛び跳ねている女性の姿が目に入った。
「かわってないなぁ、エテル…」
ウルグアイを30年前に出てから一度も会っていないのだから分からないでもないが
「ああ──っ!! ベラ──ッ!!」と
上陸手続きの列全体に向かって絶叫するエテルは壮観だった。
エテルは素直で可愛らしく、その上スペイン人も顔負けの大声族だった。

「タンゴ聴く?」
とマンションに着くなりCDをかけてくれるがあまりのボリュームに会話もできない。
「ブエノスアイレスの町を散歩しよう!」
と角のバス停に行くとキオスクのお兄ちゃんが
「ピアソラ聴いてたの?今日は」
ってこんなところまで聴こえてたのか…。

ボカ地区を散歩しストリートダンサー&ミュージシャンにチップをはずみ、
宿泊費の浮いた分でエテルの娘さんも一緒にディナーに出かけた。

あっという間に時が過ぎ一路空路でスペインへ。
この一ヶ月ですっかり太り100キロ近くになっていたベラは機内食が配られるたび、
嫌な顔をして食事のトレーを隣の席のテーブルへと置いた。
「お客様、ここにテーブルがありますのでこうして、外していただきますと…」
スチュワーデスさんが前座席の背からそっとベラの正面に向かって
テーブルを引き出そうとするが次の瞬間
「はっ!」
と顔色を変え
「失礼致しました」
と逃げるように去っていってしまう。この光景がマラガに帰ってくるまで繰り返された。
180cmの巨体の上にタヌキのように丸く突き出たお腹のせいで
テーブルは所定の位置にセットできず、ベラのお腹の上で斜めに傾いているのだった。

(第40話につづく)

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