先週から始まった新企画「ももギャラリー」です。
「カルトン寺院」シリーズを、8回に渡って紹介しています。
2回目の今日は、どんなふうに描くのかを、みていきましょう。
まず、カルトン(ダンボール)に
太字の「マーカー」で直接
主要な線を入れていきます。
わたしは、「下書き」は
いっさいしません。
最初のインスピレーションに従って
思いつくまま、
どんどん描き込んでいきます。
だから、よく見ると線が「曲がったり、ゆがんだり」しています。
直線を描いても、「手描きの線」なので、定規のようなラインはいっさいありません。
「ずれ」「ゆがみ」こそが
「生命感」「躍動感」なのです。
左右のバランスが「くずれている」のでなく、「息づいている」。
生きている、息づいている線。
主要の線入れが終わったら
アクリル絵の具で、色を入れていきます。
ポスターカラーでも、何でもいい。
線からはみ出たり、色が重なったりも気にしない。
どんどん、一気に描き込みます。
「アンシメトリー(左右が対称でない)」ところにも
わたしは限りなく、「生命感」「躍動感」を、感じます。
下書きなし!ということは「一回きり」「一期一会」。
その「緊迫感」も、わたしは好きです。
そのかわり「思いがけない結果」になることも、よくあります(笑)
描きながら、最初もっていた「ぼんやりしたイメージ」「こんな感じ」というものが
「形になっていく」「具体化されていく」「凝縮されていく」
その過程、プロセスこそが、強烈にわたしをとらえ、
その動きの中に、引きずり込む。
時間の感覚、肉体の感覚をも、忘れてしまうほどに。
「編曲」や「作曲」をしているときにも、それは起こります。
「内にある何か」を「形にする」ために
芸術家は時間も忘れ、空腹も忘れ、
部屋に電気がついていないことにも気づかず、制作に没頭する。
命が、くし削られるような感覚。
内臓がやせていくような。
でも、形になったとき、「なぜ、自分がこの動きに取り込まれていたのか」がわかる。
すとん、と納得する。
それは、与えられた不思議なパズルを、解き明かすのに似ている。
「導かれるままにつき進む目に見えない道」
それが、制作。クレアシオン(クリエイト)。アルテ(芸術)。
「たどりつく」その「動き」にこそ、意味がある。
「どうして始めたのか」は、わからないんだけども(笑)
音楽も絵も、作っているときのスピード、勢いはすごいです。
時間も肉体の感覚もなくなってるので
「もも、もう暗いよ・・・」
と言いながら、ベラが夕方、部屋の電気をつけてくれる。
そして、しばらくするとまた扉が開いて
「もも、おなかすいた・・・」
って、ベラが「時計」になってますね(笑)
