第66話 ハンガリアン ストーブ

ひとつしかないストーブを囲んで、3人が直径2mの中に集まる。
これがうちの、冬の風景である。
ベラが眉間にしわを寄せて、キキーッという感じでチャイコフスキーを弾いている1m横で、
わたしが編曲中の五線紙に向かい、その横でオウムがうたた寝をしている、という
一見、何の脈絡もない3つの行動が、わずか2mのスペースの中に押し込められている。
これも、ストーブが1つしかないせいである。
「一人に一つ、ストーブがほしい!」
ベラがたまりかねたように叫ぶ。
「なんで、いつも3人いっしょにいなくちゃいけないの?」
その気持ち、わかる。そのうえストーブがまたひどくボロボロ、
10数年ものの中古で、傷、しみだらけ。そのとき、あっとひらめいた。
「外側、塗っちゃおう!」
わたしの頭の中には、すでに塗りあがった
『色鮮やかなハンガリー風の花々が散りばめられたストーブ』が浮かんでいた。
一瞬にして、部屋の中がパッと明るくなった気がした。
「よし!」
わずか数時間後、ボロボロのストーブは『ハンガリー風おきもの』に変化していた。
「ぎゃあ!」
最初ベラは声をあげたが、すぐに自分の両親の家を思い出し、
「僕のお母さんがよく、こういう刺繍をしていたよ」
となつかしそうな目をした。

ストーブは一つだが、なんだか前より楽しくなった。
色の力って、すごいなぁ。
「あれ、これストーブ?」
リハーサルに来たエルネストが声をあげる。
わたしたちは2週間後にひかえたカクテルパーティのための練習をしていた。
せっかく時間があるので、どんどんアレンジを変えていく。
ソロのパート、アドリブをふんだんに入れ、イントロも変えちゃおう!
そうだ、リズムもボサノバ風にしちゃおうか・・・って、バッサバッサ変えてたらベラ、
「どうしてせっかく作ったものを壊すんだ!」
「壊す?」
言われるまで気づかなかった。そうかぁ、たしかに編曲って、
前に作ったもの、弾いてたものをたえず壊して、新しくしていくことだよなぁ。
「こうすると、もっといい!」
という思いに従って、リハーサルや演奏のたびに変えていく。
一見、完了したようで、止まっているようで、実はすべてはプロセス、過程にすぎない。
「そうなのだ・・・」
人生はたえず変わっていく、一見止まっているようで、しかしすべては変わり続ける。
動き続ける。その動きこそ、この宇宙、わたしたちの人生を貫く大いなる自然のリズムであり、
すべてを生み出す源なのだ。
「あううう・・・」
その発見にひとり感動しながらリハーサルを終え、いつものようにわたしたちは
テラスでひなたぼっこしながらお茶をした。

カクテルパーティも無事終わり、次は2月14日バレンタインデーの、
ロマンテックディナーの演奏である。
この仕事で大切なのは、カップルを『そっとしといてあげる』ことなので
やみくもにテーブルに近づいてはいけない。さらにレストランから
「テーブルを回って弾くように!」
という指示があっても、客層をよーく見て選曲しなくてはならない。
最近はゲイのカップルも多いので、
あからさまに「ベサメ・ムーチョ」とか「愛の賛歌」とかはまずい。
ところで、2月14日はわたしの誕生日なので、いつも自分のために
『ハッピーバースディ』の曲を弾いています。そうするとレストラン中
「おっ、どこだ、どこだ?」
みたいな感じになるんだけど、すまして弾いてるのだ♪

そういえばテレビで『2月14日に泊まりたい豪華ホテル10選』という企画をやっていて、
スペインやイタリアの、すごいホテルが画面に映し出されていた。
「なんなんだ、これは!」
「1泊4500ユーロだって!」
「なに!4500ユーロ・・・」
ベラが顔色を失っている。
「ゆったりしに行くのに、4500ユーロじゃもったいなくて僕、ひと晩中、眠れないよ」
って、ベラ、だいじょうぶ。
わたしたちが行くのはオスタル(民宿)かキャンプ場だから。

 

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