4.紅葉の磁叟庵コンサート(1)

スペインとニッポンの時差は8時間。
これは、かなりのものである。
ニッポン上陸の最初の数日は、夜中の1時頃に目が覚めて
ごそごそ夜食を食べ出す、不思議な生活をしている。
なにしろ日本で朝10時のとき、わたしたちの体は夜中の2時。
ということは「さぁ、元気に1日を始めましょう!」というときに
わたしたちの体は「はぁ、これから眠ろう~」と思っているのだから
困ったものである。

というわけで、ニッポン上陸・前半では
午前中に用事を入れないように計画をたてる。
でも、今日は例外。
豊橋から岐阜県の瑞浪市まで、2時間の旅が待っている。
両親とわたしたちは一路、今日のコンサート会場である
「磁叟庵(じそうあん)」をめざすのだ!

瑞浪インターを下りてから、道はどんどん細くなり山里に入っていく。
雨も降ってきて心細くなるが、岐阜は豊橋より紅葉が早く、美しい。
「寒いから、野菜が甘くなる」と、とくばあちゃんが言っていたが
岐阜の寒さは、自然の恵みをもたらす。

「あーっ、こちらです!」
ご主人の曽根さんは、なんとわたしたちが道をまちがえないよう
曲がり角に立ち、傘を差して待っていてくださった。
「ああっ、お世話になります、今日はよろしくお願いいたします!」
温かな笑顔で出迎えてくれた曽根さんご一家。
これは、なんとしてもコンサートを成功させねば!と力がわいてくる。

「磁叟庵(じそうあん)」は、昔ながらの美しい日本家屋であった。
門、玄関、柱、梁、窓枠、縁側・・・そのどれもが木でできている。
石造りのスペインから来たわたしたちにとっては、心に染み入る風景。
呼吸をしている、生きているニッポンの家。
一歩、庵に足を踏み入れれば、よく手の入れられた日本庭園が
季節の彩りで、訪れるものを迎えてくれる。
「うわぁー、紅葉!」
べラが縁側に立ちつくし、外を眺めながら声をあげた。

「紅葉の日本庭園をバックにコンサート」
こんなすてきなことが、待っていたなんて・・・
スペインのマラガにいたとき、誰が想像しただろう。

「もも!後で写真撮ってよ、絶対」
べラは初めて見る日本庭園に、かなり興奮気味。
わたしもこのときばかりは、昨夜から悪化した「耳の炎症」のことも忘れ
しばし、庭園に心をはばたかせていた。

数日前から左耳に炎症が起こり、ついに左耳が聞こえなくなってしまったのは
昨夜のことだった。
コンサートはいったいどうなるのかと、ベッドの中で不安で泣いていると
その気配に気づいたべラが起き出し、わたしの背中をさすってくれた。
「だいじょうぶ、もも、だいじょうぶー」
「でも、音が聞こえなかったら、弾けないよ!自分の音が聞えないなんて・・・」
するとべラは、少し考えてから笑って言った。

「だいじょうぶ。ニッポンのお客さんは、きっとわかってくれるよ。
うまく弾けなかったら、そのまま、耳のことを言えばいい。
どんな状態でもプロは弾く、ってことが大切なんだよ、上手に弾くことじゃなくて」
その言葉は、どんななぐさめより、わたしの心に染み入った。
たぶんべラは、そうして何十年と「あらゆる状態で弾いてきた」のだ。
そのことが一瞬でわかって、わたしは心を打たれた。

上手に弾くことではなく、どんな状況でも弾くこと。
それが、プロ!
迷いが吹っ切れると、今度は腹の底からふつふつと熱いものが沸いてきた。
「そうだね、お客さんを信じなきゃね。全力で弾くよ!」

左耳が聞えないまま、わたしは弾き始めた。
ときどき、音はやっぱり聞えなかった。
でも、こんな雨の中、集まってくださったみなさんのことを思えば
へっちゃらだ。
わたしたちのために、遠いところから
30分も、1時間もかけて来てくださったのだ。
そのエネルギー!思い。

大切なのは、集まってくださったみなさんと、この瞬間を楽しむこと!
一期一会。ご縁が贈りもの。
わたしは「わたしの国ニッポンに帰ってきたんだ!」と弾きながら
全身で感じていた。

(「ニッポン再発見記・5」につづく)

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