アボガド収穫祭の悲劇

先日、マラガの田舎に住む友人一家から
「アボガド収穫祭をします!」
との、知らせがあった。

彼らはマラガの郊外に住み、15メートル平方の畑と果樹園を持っている。
トマト、きゅうり、レタス、ピーマン、レモン、ナシ、アボガド・・・など
実にさまざまなものが、季節にあわせて食卓を彩る。

毎日のパンも、手作りで焼く。それも朝一に、お父さんが。
「仕事の前に、一焼き!」
と、実にうれしそうに言う。
以前は、小さなオフィスを持っていたのが、スペインの不況を目の当たりにして
オフィスを続けていくことができなくなってしまった。
で、パンも焼くし、畑もやるし、ニワトリも飼い出したというわけ。

収穫祭の行われたこの日は、日曜日だったので
テーブルの上には特別に「日曜日に焼くパウンドケーキ」も並んだ。
これも、もちろんお父さんの作。実に、おいしい。
貧乏でも、自分たちの暦を持って、楽しく暮らす知恵である。

さて、今日の主役であるアボガドが、うやうやしくテーブルに運ばれてきた。
「おお~っ」
「わあー」
などと、ギャラリーから歓声があがる。
それもそのはず、食べごろの黒く熟したアボガドがごろごろと
直径40センチはある大皿に山盛りなのだ!
参加者は10人だから、軽く一人4,5個の計算である。
ごくりと、生唾を飲み込む。

「いただきまーす!」と元気よくべラが言ったので、みんなもあわてて日本語で合わせる。
「いだたますー」「いたきまー」「ただきーまる」など
原型の「いただきます」から、はるかに離れてしまっているものもあったが
いいのである。
この不思議な呪文こそ、収穫の大地への感謝、捧げものなのだ。

さて、屋外に出されたテーブルの上には、アボガドとサラダ、チーズとパンとワイン。
これにオリーブオイルと塩を各自、好みでかけて食べるだけ。
太陽さんさん、青い空の下で和気あいあいと昼食は進んだ。
そして2時間後、収穫祭をしめくくるデザートタイムとなった。

「もも、ケーキは?」
「後にする」
「焼きたてほかほかだよ!」
「う・・・ん、ありがとう。でも、おなかいっぱいだから」
何気なく断ったが、実はこのとき、とんでもない「腹痛」に襲われていたのだ。
なんとか持ちこたえ、家にたどり着き、さっそく湯たんぽを抱えて横になる。

「もも、だいじょうぶ?」
べラが日本語で聞いてくる。
「だいじょうぶじゃないーっ!」
「それは、どういう意味ですか」
「うわあぁ~っ」
こんなときに教えろと言うのか。
腹痛は鈍痛にかわったが、じくじくと夜まで続き
結局、夕食はとらず、リンゴだけ食べて寝た。

「もも、今日の昼食は、アボガドサラダにしようか!」
「ぎゃーっ、アボガドこわい」
「だって、お土産で10個ももらったよ。食料の調達は助かるよねー」
何を食べても大丈夫なべラ、きっと胃腸がじょうぶなのだろう。
「たぶん、アボガドの食べすぎで、昨日おなか痛くなったと思う」
「そんなことあるかなぁ、アボガドって野菜でしょう?」

べラはまったく信じていない様子であったが
わたしの脳裏に、はるか20年前、ニッポンでよく聞いたフレーズ
「アボガドは、畑のバター!」
という言葉が突如、閃光のようにまたたいた。

「ああっ、バターの塊を、わたしは5個も食べたのだ・・・ああーっ」
自分の犯した「過ち」に、気づいた瞬間
しかし、参加者のみなさんはだいじょうぶだったのだろうか、と
急に心配になった。

 

Facebook にシェア
[`google_buzz` not found]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です