【一日一作プロジェクト】ミャンマーの人々へのエールアート「平和の舞・ミャンマーの白い鳥」を作った。4日間で描き上げると決意し、命を注いだ。私にはまだ
「注げる命がある」
あの19歳の、まだあどけなさが残る女の子は、デモ中に頭を撃ち抜かれ、19歳の命を閉じた。平和を信じ、未来を信じていた彼女の、真摯な表情、眼差しを忘れない。
「私の血液型はB型です」
いつでも献血します。ご連絡ください。そう言っていた、あの子はもういない。
「私の体のどの部分でも寄付します」
そう言い切れるほど命をかけて、人を信じてあの子は生きていた。勇気とまっすぐな心を持って。あの日、彼女の頭を噴き飛ばした銃弾は
「ミャンマーからスペインへ」
届いた。汚れたアスファルトの上に落ちたのではない。地球を半周して私の心に突き刺さり、1枚の絵に姿を変えた。
「ありがとう!受け取ったよ」
あなたの信じていたものを、私も信じている。あなたの死は無駄じゃない。あなたの願いや祈りを、引き継ぐ者がいる限り。
「アートに何ができるのか」「役に立つのか」
今の私は、アートにできることは沢山ある、と言いたい。ミャンマーの人々に起こっている蛮行を知ってもらうこと。平和への願いを引き継ぎ、行動すること。そして。もしかしたら。誰かの心を動かし
「最後の最後で、引き金を引く指を」「こん棒を振り下ろす腕を」
止めることだって、できるかもしれない。それだけで、1人の命が救える。私にとって
「アートは手段」
意味が、メッセージが、エールが、祈りがあるから、アートは剣にもなれる。傷ついた心を包み込むことも、心に触れることも。ひたすら
「痛みや怒りを、願いと祈りに昇華させる」
ことに、向かい合った。抗議であり、祈りであり、供養でもある。アート活動家としての自分の役割、アートの役割が、ようやく見えてきた。
「平和の舞・ミャンマーの白い鳥」
黒い影は人々。銃弾を撃ち込まれ(右下)、こん棒で殴られ(上)流血している。その血が、打ち砕かれた願いが、魂が、天に昇り「平和(白い鳥)」になろうとしている。
傷ついた体から芽が生え、その魂や願いが不変であること。けしてとどまることなく、育っていくことを表している。
右上の3番指は、上から「独裁への抗議」「自由への祈り」「平和への願い」を表している。
黒い部分は「舞」という文字にもなっている。平和の舞。命の舞。祈りの舞。挑戦の舞。
ミャンマーに1日も早く平和が戻りますように!