オウムの気持ち

今週マラガはものすごくいい天気。昼間の太陽の強烈なこと。まるで初夏。連日22度。その上連休。

7時半に起きてさっそく絵に取りかかりつつ、洗濯とオウムの水浴び。それで改めて浮き彫りになった私たちの関係。オウムと私の。

不思議なのは、私はオウムの気持ちがわかるのに、オウムには私の気持ちがわからないこと。なぜだろう。

あるいは。わかっているが無視。なのか。いずれにしても、一方通行的なやるせない(時に怒り心頭)の関係を、もう15年くらい続けている。

一番手を焼いているのは、家の中の「破壊」。直せるものはいい。美観もゆずる。IKEA の家具や鏡のふち、棚の取っ手、すべてよしとしよう。

が、本当に直せないものは泣けてくる。たまに自分でも途方に暮れ、本当に涙が出てきて

「どうしてこんなことするの!」

と、床にへたり込んでしまう。すると。不思議な表情を浮かべてよちよちと寄ってくる。「どうしたの?」と言わんばかりに。

どうしたじゃねーよ。と声をあげたくなるが「一生5歳児」のオウムに言っても仕方がない。

「ノーーーー!」

と叱る。そして鳥かごに半日。ひどいと1日。これが、15年間繰り返されている。

価値観などまるで合っていない。が、私たちは一緒に暮らしている。これはきっと「受け入れなさい」という訓練、修行なのだろう。

写真を見て思ったが、オウムは「視線」で語る。時々視線を感じて振り向くと、じっと私を見つめている。まばたきもせず。

不思議な生き物。全身羽に覆われて。私たち全然似ていないのに、家族なんだよね。破壊をやめてくれたら、お母さんうれしいんだけどなぁ。

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