17. アンヘルと大久保師匠

ライブの時間が近づき、
控え室にバイオリニストの大久保ナオミさんが姿を現した。
音楽の道においては大ベテラン、大先輩であるにもかかわらず、
大久保さんはほんとうに自然で素朴な方であった。
音楽について、あれこれ話すあいだもたえず笑顔で
少女のような表情を、ときどき浮かべられる。

「音楽が好き、バイオリンが好き」
と、たえずおっしゃる大久保師匠は、
「あら、わたしも音大を出ていないのよ、いっしょねぇ」
と、満面の笑顔で言ってくださった。

いっしょ、と師匠は言ってくださったがわたしのように
「会社員を6年してから、29歳で音楽屋になるためにスペインに行く」
などという無謀なことはされず、
きちんとレッスンを受けられたのであろうと思う。
真のアーティストは世界中そうであるが、とても謙虚だ。
そして、後輩にも温かい目をむけてくれる。

「師匠、師匠!」
と追い回すわたしにも、いやな顔ひとつせず、それどころか
「今日、楽しみだね~」
と、野花のように笑っていた。

小さな一輪の、野花のような大久保さんのその小さな体が
バイオリンを手にすると、突然、大きく見える。
周りの温度が、さっと上がる。
ベラはわたしの耳元で、そっとつぶやいた。
「彼女には、アンヘル(天使)がついてるね」
アーティストは、いつも「アンヘル」を心に住まわせておく職業だ。
そのため、アンヘルにいてもらえるような心をもつことを
わたしたちは、自分にしっかり課さなくてはならない。

師匠とベラが、控え室のはじで
演奏とは関係ない曲を弾いて、遊びはじめた。
そのときのふたりの横顔に「はっ」とした。
まるで、5、6歳のこどものよう。
ふたりはきっとこんな表情をして、楽器と遊んでいたんだな・・・
何十年前の光景が、一瞬見えるようだった。

アーティストは、精神のどこかに「こども」をもっている。
「こども」をなくしたアーティストは、すぐにわかる。
どんなに技術的にすばらしくても
名前のあるアーティストでも
過去に立派な功績をもっていても。

わたしたちの中に住む「こども」は、
ときにわたしたちを傷つける。
それは、無防備さであり、感受性であり、
目に見えない精神に支配されている印、でもある。

職業に関係なく、わたしの周りには
この「こども」をもっている人が、なぜか多い。
それも50代、60代の方々に。
一見、落ち着いた立派な先輩たちが、
一瞬見せる「かくれこども」の顔に、ほんとうに驚かされる。
わたしの想像もしない苦労だって、きっとされてきただろうに
それをみじんも見せない、この「こどもぶり」は、どうだ!
「はあぁ~っ」
と、感動すら起こる。

天真爛漫な、無防備な。
その、無条件に命を花開かせる強烈なエネルギー。
なんの見返りもなく、全力を注ぐ。
無条件に。
こどもは見返りなんて、期待しない。条件なんて、ない。

その、なんとかけがえのない、
しかし高貴な、人間的なエネルギーだろう。
そこに、わたしは「品」を見る。
お金とも、家系とも、育ちとも関係なく。
人間としての「品」。

マラガ下町コミュニティの人たちは「貧乏」だが、「貧相」ではない。
「だから、自信を持って貧乏と言える!」
と言ったら、マネージャーの大野さんが、
「経済的に恵まれない人たち」と、お訳しになった。
それで、わたしたちは自分たちが「恵まれていない」ことに
はじめて気づいたのだった。

(「ニッポン驚嘆記・18」につづく)

 

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