母の作った湯たんぽ袋

昨日は「母の日」だった。私がしたのは、お供えとお祈りくらいだが、天国の母にとっては
「何があっても前に向かって生きていく」
ことで十分だよ。と、言ってくれている気がする。

今日の写真は、20年近く前に母が作ってくれた「湯たんぽ袋」。何百回と使って来たので、表のガーゼ部分はすでにボロボロ。

さすがに今は使っていないが、母の思い出の品として、大切に取ってある。一つ一つ時間をかけて、思いをこめて刺繍の針を動かしてくれたんだな、と思うと胸が熱くなる。

この袋に縫い込まれている文章は、実は私の絵本に出てくる登場人物の言葉。

「耳じゃない。心をすまして、心を動かすんだよ。頭ばかり使ってると、心が動かなくなっちまうぞ」

私の若い時の夢の一つは
「絵本作家になること。絵本を作ること」
だった。そうして書きためた、作りかけた絵本がいくつもある。

出版活動に至らなかったのは
「ピアニストになる」
と決めてスペインへ渡り、音楽三昧の日々に明け暮れていたから。絵本の夢は、次第に遠くなっていった。

音楽活動にストップがかかった3年前。今度は私は夢を
「絵を描くこと」
に決め、創作活動が始まった。

ここでも「絵本」は、浮かばなかった。なのに。である。ここのところ、やたらと「絵本」が私の肩を叩くのである。

それは、年末に日本帰国した際に始まった。
「絵もいいけど、絵本もいいかもよ。絵と文章が一緒になった方がいいんじゃない?」
と大先輩からアドバイスされ、サンプルまでいただいた。

2月に始まった「大整理&大処分」で、タンスの奥にしまってあった「母の湯たんぽ袋」に遭遇。まるで
「この絵本はどうなったの?」
と、母に尋ねられているかのよう。

そして、日本から届いた恩師のハガキに
「そういえば、20年くらい前に『絵本を作る!』と言っていませんでしたか?」
との言葉を発見して仰天。

私でも忘れていたのに。そういえば、かなりの勢いで
「絵本を作る!」
気だったのを、思い出す。

なんだか偶然とは思えない「絵本」のお告げ。
もしかしたら来年あたり、作っていたりして。

私にとって、大切なものが3つある。
「音楽と、絵と、文章と」
いつもこの3つに囲まれて生きてきた。

私にとって
「音楽と、絵と、文章で表現すること」
は、呼吸をすることでもある。つまり生きる上で必要なこと。

そうしてみると、絵本という可能性も大いにありえる。って書きながら、ふと気がついた。よくベラが言っていたっけ。
「絵本にCDをつけるのっていいよね」

おいおい。なんだかすごいプロジェクト(笑)まずは7月の展示会から。いや、その前にまず「バルセロナ行き」。それから「春の発表会」もしなくっちゃ。

「絵と文章の合体」
は、私に新しい可能性を感じさせる。そういえば
「画文」
も、私の大切な創作活動の一つ。

ブログや展示会ではあまりお目見えしないけど、書きためた
「つぶやきや叫び」
は、もう6冊になる。

それで、思い出す。
「私は『詩』が好きだったんだ」
と。中学生の頃から、いつも詩を書いていた。名古屋の会社員時代まで。

で、さらに思い出す。年末の日本帰国で私の大切な友人に
「昔、詩を書いていたね」
という話をしてもらったことを。

そんなことを思った母の日。

お母さん、私を生んでくれてありがとう。生きるってすばらしいよ。心を動かして、生きていこう。

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