第58話 ピアノレッスンその(1)──池に小石を投げ続けること

知り合いのツテを頼り、自分のためのピアノレッスン、音楽レッスンを
とれることになった。
まずは技術的指導ということでイサベル先生の元へ。
純粋なクラシックの王道をいくロシア人の先生だ。

自分の目的ははっきりしていたので初日にその旨を先生に伝えた。
「とにかく動く指が必要なんです。そのためのトレーニングなら
どんなことだって言われたとおりにやります!」
無言でうなづいた先生が一時間に渡り私に課したのが
エスカラ(音階)とアルペヒオ(アルペジオ)それだけだった。
これがただ弾いてりゃいいというのではない。
音が正しいかどうかなど、はなっから眼中になく
先生が目と耳を研ぎ澄ませてチェックしているのは
“音の質”“筋肉の使い方”“一瞬一瞬の指の動かし方”なのだった。
もちろんソルフェージュ、指使いなんてもんはできていてあたり前。
授業の最後に出された宿題は音階とアルペヒオを毎日2時間さらい
ブラームスやチェルニーの練習曲が6曲。
「来週までに、すべて暗譜で!」
暗譜って軽く言うけど6曲あるから20ページくらいある。
それもメロディのない練習曲は本当に覚えにくい。

その日から猛特訓を始めた。
その辺りが“体育会系”のいいところだ。
“特訓”という言葉を聞くだけで全身から力がみなぎってくる。
そこに“なぜか”とか“できるのか”という疑問は存在しない。

一日8時間も音階とアルペヒオと練習曲だけを
繰り返す私にベラが
「ももー、エスタス・ボルビエンド・ロカ(頭おかしくなっちゃったの)?」
と心配する。
2日目、3日目、4日目…少しもよくならない。
授業に行くと案の定、先生に
「耐久力がないわねぇ。音楽家になるには
4、5時間くらい続けて弾けるようじゃなきゃ!」

イサベル先生は厳しかったが、授業が終ると必ず
「必ずできるようになるから、がんばって!」
と、声をかけてくれた。
バスで30分、そのあと電車で30分を数ヶ月レッスンに通った。

ある日、イサベル先生が叫び声を上げた。
「暗譜能力が低すぎる!うちに来るまでの電車の中で
何してるの!?まさか景色を楽しんでるんじゃないでしょうね」

毎日8時間、練習はしていたがその割りに上達はなかった。
自分でも悲しくなってきてピアノの前で泣いていると
ベラがそっとドアを開けた。
「どうしたの?ピアノの音が聞こえないから」
その言葉を聞くと今まで溜まっていたものが一気に爆発して
私は大声で泣き出してしまった。
「あ──、あ──泣かないで」
ベラは子どもにするように私の肩を揺すって、頭をポンポンと叩いた。
「どうして泣くの?誰よりも頑張っているのは、ももなのに
ももは誰よりコンテンタ(満足)でいていいんだよ!」
そしてこんな話をしてくれた。
「練習っていうのは“池に小石を投げ続ける”ようなもの。
毎日毎日投げ続けても何も変わらない。ところがある日、池の水面に
小石が姿を現すんだ!なぜだと思う?毎日、小石を投げ続けたからだよ」
「うわあ──ん!!」

それを聞いてもっと泣けてしまった。なんていい話なんだ。
こんな時に感激させないで。
私は涙で濡れた鍵盤を拭くと、再びピアノに向かった。

(第59話につづく)

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「第58話 ピアノレッスンその(1)──池に小石を投げ続けること」への2件のフィードバック

  1. 最高の仲間の中で暮らしているモモさん。日本に居る僕らの生活の中にも支え合ったり、励まし合ったりする瞬間はあります。ベラさんの小石の話のように悩んでる人の心がわかるからこそ出てくる応援の言葉。慰めより希望を与えてあげられるポジティブなメッセージ。とても深く感じました!

  2. 「慰めより希望を与えてあげる」ってshinさんのことばいいね。そのとおりだね!私たちは誰もが誰かの「希望の星」。そこに居てくれるだけで「もういちどがんばろう!」って思えるもんね。shinさんもたくさんのリスナーの人たちにとって「星」であるはず。素敵な放送をこれからも期待しています。momo

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