第53話 サウジアラビアの大富豪は音楽がお好き(前半)

先日、久しぶりに週末、友人とカチョンデオ(大騒ぎ)に出かけようと身支度をしていると、
突然電話が鳴った。
「あーよかった!今晩あいてる?」
それはとあるプロダクションのカルロス氏だった。
今晩って、今もう夕方の5時だけど…。まったく、
音楽屋ってボンベーロ(消防隊員)みたいだなあ、
電話一本で家族・友人ほっぽり出してどこへでも即、出動なのだ。
さっそく機材を積み込み、ユニフォーム(演奏用の衣裳)に身を包むと一路、
マルベージャへ。プライベートパーティーが
行なわれるというそのアラブ風(とカルロス氏は言っていた)
お屋敷をめざして高級住宅街をうろうろしていると、
「ねぇ、もしかしてあれ?」
目の前にそびえているのはまさにアラブ風と言うべき塔、
入口には見るからにアラブ系のガードマンが6、7人、
その中の一人が振り返るなり、
「あーよかった!待ってたよ~」
われらがカルロス氏だった。

中に通されてさらに仰天。サロンの一角にはモロッコで見たモスク(イスラム寺院)に
似たものが造られている。
ゴージャス。家具という家具が見るからに高級品なので、
はたして仕事用のバッグや楽譜なんぞを、このイスの
上に置かせて頂いてもよろしいのでしょうか、ってすっかり腰がひけている。
そのうえ、サロンの至る所に巨大な装飾品が置かれていて
仕事をするにはやたら不便なのだ、って、だいたいここで
仕事をすることが間違っているのだが。
まず、コンセントを探して振り向いた瞬間、1mもあろうかという
巨大な貝に頭をぶつけそうになった。
何でこんな所に“貝”があるんだっ!
機材の全体のバランスを見ようと後ろへ2、3歩下がったとたん、
これまた1mはある象の牙に一突きされそうになった。
なんでこんなものが家の中にあるんだっ!
って、庶民には、金持ちの空間構成などしょせん理解できぬものなのだ。はぁ。

さて、約束どおりの9時半きっかりにカクテルが始まり、静かにクラシックを演奏し始める。
この館のご主人様は(カルロス氏によると)サウジアラビアの大富豪で、
たえず今日のようにパーティーを催されておられるらしい。
きっと油田の一つでもお持ちなのだろう。とその時、全身、
白装束に身を包んだ”アラブの王様”のような方が現われた。
御主人様である。
その優雅な足どり、落ち着き、貫禄。さすが、
この巨大な装飾品、1mの貝や象の牙の中で調和できるのは、
昨日や今日でできるもんじゃない。

会場がなごやかなムードになってきたので曲を替えて、
オペラのアリアや映画の名曲、スタンダードなどムードのあるものを
弾き始める。10時、11時…、さすがに疲れてきたなぁと思ったところへ、
御主人様、自らシャンパンを召使(と言ったってタキシード姿だ)に命じ、
私たちに一休みするように言って下さった。
あぁ、アラブの王様はサロンの隅で働くミュージシャンのことも
決して忘れてはいないのだ。

何しろ場所によっては、ミュージシャンは飲んだり食べたりしなくても
動く、と思っている方々がいるので、こうした心遣いは本当にうれしい。
演奏にだって自然と気合いが入るってもんだ。

「お好きなお飲み物をご自由にどうぞ」
とは言われたものの、演奏中は水しか飲まないので水を注文。
ふつうならミネラルウォーター一本がどんと出されるのだが、
お上品にグラスに注がれお盆で運ばれてくる。
申し訳ないのだが、とても喉が渇いているし、ちょくちょく頼むのも何だから
ボトルごとお願いできないかと、失礼にならなぬよう心をこめて
召使いの方に伝えるのだが、
「とんでもございません。飲みたい度に何度でもお呼びつけ下さい」
って、そんなこと我々庶民にはできんぞ。飲みたい度って、
今もうすでに3、4杯飲みたいくらいなのだ。
そのうえ最少の動きも見落とさぬよう待機されているので、
間違って”のび”でもしようものなら、
すぐに飛んで来られそうな気配だ。ふう。

やがて約束の12時半となり(契約はディナーの間、
12時半まで演奏する、だった)、カルロス氏が再び現われた。
「ディナーを見たかい?すごかったろう?」
「…うーん、高級そうだったけど量は少なかったよね、
カナッペ風だったし」
「そんなことはありえない!」

と言うなりカルロス氏はすごい勢いで召使いの一人に近づいて行った。
戻って来るなり、
「ディナーはまだ始まっていないそうだ」
「えぇーっ!!…」
じゃあ私たち、今まで弾いていたのは何だったの?
仕事はこれからってこと?
4時間かけて前菜ということは…
これから始まるディナーを思うと気が遠くなりそうだった。


(第54話につづく)

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