私のアートの原点

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「私のアートの原点」
となった体験を二つ
書きたいと思う。

私にとってアートとは
「人を元気にする
エネルギー、
波動、バイブレーション」
つまり
エネルギーそのもの。
美しいとか
上手であるとか
緻密であるとかは
私には
どうでもいい。

一つ目の体験は
スウェーデンにいた時。
それは春で夜で
私は落ち込みながら
とぼとぼと道を歩いていた。
涙がこぼれそうになり
ふと上を見上げると
緯度の関係で春夏は
夜でも陽が完全に
沈まない北欧。
そこには真っ青な空が
広がっているのだった。

夜に、青い空。
その驚き。
背中を丸めて歩いていた
私の頭の上には
こんな「青」が
広がっていたのだ。
私が気づかなかっただけで。

その瞬間、熱い涙が
あふれ出した。
「青」が、私の心に流れ込む。
どんな説明も言葉もなく
空は、青は、色は
私にエネルギーを注ぎ込んだ。
そして私を
無言で抱きしめた。

「色は、エネルギー!」
「色は波動、バイブレーション!」
そのことを初めて体感した
肉感した瞬間、だった。

私は「色が持つ力」に
救われた。
たとえ自分を取り巻く
環境は変わらなくても
その日、その夜を救ったのは
まちがいなく
「色」だった。

色が持つ力、エネルギーに
私自身が救われることで
それは
私のアートの原点となった。

だから私の作品は
色にあふれている。

二つ目の体験は
20年近く前
母が入院しているときのこと。

隣の部屋に入院していた
年配の女性Aさんが
「もう一度、野原に行きたいなぁ」
と繰り返し言っていた。

Aさんの容体はかなり悪く
末期がんで幻聴もあり
退院はもうできないかも
しれないと思われた。
私は病院の売店へ走り
あわてて画用紙と
「クレヨン」を買ってきた。

「せめてAさんが
野原にいる絵を描いて
見せてあげたい!」

たぶん子どもが描くような
ちっぽけな絵だったと思う。
でも私は必死で
野原を緑色で塗りつぶし
赤やピンクの花で埋めた。
そのまん中で笑っている
Aさんを描きながら
涙がとまらなかった。

「まぁ、いいねぇ!」
Aさんは絵を見ると
手ばなしで喜んでくれた。
そしてそれを
ベッドから見えるよう
正面の壁に貼るよう
言いつけた。

母の隣の部屋ということもあり
私と父は毎日Aさんを訪れた。
息子さんが毎日来ていたので
いつのまにか知り合いになった。

それから3週間あまりして
Aさんは亡くなった。
母が入院中だったので
私たちはAさん家族とそのまま
音信不通になっていた。

が、その週間後
息子さんから電話がかかってきた。
「いただいた絵を
仏壇に飾ってあります。
最後まで母が喜んで
見ていた絵だから」

その瞬間
涙があふれてとまらなくなった。
「ありがとうございます」
そう答えるのが
精一杯だった。

美術館には飾られないが
仏壇に置いてもらえる絵。
シャガールもピカソも
Aさんをけして
幸せにはしなかったのだ。

Aさんが最後まで
見つめてくれた絵。

Aさんの笑顔が思い起こされて
私はしばらく
声を出さずに泣いていた。

アートは、エネルギー。
アートは、人を元気にするもの。

私のアートの原点は
こうした「体験」から
作られている。
誰かが言ったこと
読んだことではなく。

こうした体験の積み重ねが
今日の私を作った。

アートは
エネルギーの贈りもの。

そしてスペインへ
渡ってから今日まで
私を包んでくれていたのは
「音楽」というエネルギー、
波動、バイブレーション。

その抱擁、キスの中で
私は生かされてきた。

アート。
それは、愛の波動。

それこそが
「地中海アトリエ・
風羽音ふわりん」の
コンセプトでも、ある。

 

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