第75話 ベリーダンスに勝るもの

マラガから西へ40分ほどのところにある、モンダ・ホテルから電話があった。「来週、『中国人の団体客の貸切り』が入ってるので、中国の曲をお願いします」
「ええっ!中国の曲って、何曲くらい・・・」

「できれば10曲。最低でも、4,5曲は頼みます」
当時、まだパソコンなど『高嶺の花』であったわたしたちは、仕方なくうちから歩いて10分くらいのところにある中華料理屋に、聞きに行った。
「あの~、すみません。中国の曲を弾かなきゃならないんですが、CDを貸してもらえませんか?ダメなら、有名な曲のタイトルだけでも教えてください!」
すると中国人店員たちは、わたしの顔をじ~っと見つめたまま、無表情な顔つきで答えた。
「お持ち帰りですか、それともここで食べられますか?」
「ええっ・・・」
そういうことが3軒続けて起こったとき、やっと「行き先は中華料理店ではない」ことがわかり、ベラの友人ロベルトに電話をすることにした。
「なんで、ふつうの仕事、しないの?」
って、したいけど、来るのは毎回『聞いたこともない注文』ばかりなのだ。
「OK,うちに来てよ!」
わたしたちがロベルトの家に着くと、いかにも中国二千年~♪、という雄大なメディがかかっていた。
「なんか、中華料理店に来たみたい・・・」

ロベルトは、世間には『You Tube』というものがあることを、わたしたちに、こんこんと説明し、そして「どうせわからないだろうから」と前置きし
「ここに十数曲、おとしといたから」
と、CDディスクを手渡してくれた。
そのディスクの中から数曲、そしてわたしの持っている『世界のうた』という本から数曲選んで、練習することにした。

さて、当日。
ホテルにとっても、わたしたちにとっても初めての『中国人ご一行様』が、ホテルに到着した。
ご一行様は写真など撮りながら、ぞろぞろとレストランに流れ込む。
村の頂上に位置するこのプチホテル、古城を改装してあるので、とても趣がある。それにあわせ、レストランのデコレーションもヨーロッパ中世風。
この中で、弾くのか?中国の曲。すごいミス・マッチだと思うけど。

 『優雅な古城ランチ』が始まり、わたしたちは演奏を始めた。
「パチパチ・・・」と、拍手があがるのは、当然というのかJazzやジプシー音楽、スペインの曲で、中国の曲を弾くたび、異様に盛り下がる。
30分もすると添乗員らしき男性が、わたしたちの手に紙幣をにぎらせ、
「中国の曲はけっこうです。ヨーロッパの曲をお願いします」
って、そうだろうよ!旅行に来てまで中国の曲、聴きたくないよねぇ。
それもこの、デコレーションの中で。

わたしたちが休憩に入ると、『ベリー・ダンス』の美しいお姉さんが現れた。
ビキニのようなトップに、へそ下で留められた、すけすけのスカート。
「♪タン、タララン、ラ、ラタタン~」
と怪しげなアラビックな音楽に合わせて、腰をぐねぐねさせながら踊り出す。
「うおぉ・・・」と、声にならぬため息が、会場に流れる。
お姉さんは、笑顔でテーブルの間を回ってくれるので、まさに『かぶりつき』である。ふつうはここで、やんやの喝采、大盛り上がりになるはずなのだが、
『中国人ご一行様』はまさかの、ホテルもお姉さんも、そしてわたしたちも、想像しなかった行動をとった。
「これは!・・・」
そう、それはわたしがすっかり忘れていた、東洋の慣習『見て見ぬふり』であった。
お姉さんがテーブルに近づくたび、みんな『伏せ目』がちになる。
ヨーロッパおよび中南米では、見たいものは『まっすぐ見る』のが常識なので見つめてもらえないお姉さんは、すっかり困惑顔。
東洋人にはあまりにセクシーすぎて、ランチはすっかりしらけてしまい
わずか10分で、ダンスは中断。
「お、お、音楽をお願いします!」
添乗員は、ふたたびわたしたちの手に、そっと紙幣を握らせるのであった。

 無事、45分の演奏が終わり、ふたたびお姉さんの番である。
「♪タン、タラ、タララン~」
怪しげなアラビック音楽が、レストランに流れ出す。が、お姉さん、着替えに手間取っていて、まだ2,3分はかかりそうな気配。
「どうする?もう一曲、弾く?」
と、ベラを振るかえると、何を思ったのか、いきなり音楽にあわせて中央に歩み出ると、お姉さんをまねて、ベリー・ダンスを踊り出した。
「うおぉ~!」
「ああ~っ、早く、早く!」
「写真、写真!」
さっきとはうってかわって、会場は、やんやの喝采。
お父さん、お母さん、大喜びで『ベラの巨体』に、シャッターを切っている。
華やかなフラッシュの中、ベラは100キロの巨体をゆらして、踊り続けた。

 そうして『中国人ご一行様』に満足していただいたあとは、いよいよお別れの時間。
「ムーチャス・グラシアス!」
笑顔で頭を下げた瞬間、わたしの頭の中に突然、むか~し見た『NHK中国語講座』が浮かんできた。
(たしか番組の終わりにお姉さん、サイ・チエンとか、言ってたよなぁ・・・)
確認する暇もないので、ぶっつけ本番だ。
「サイ・チエン!」
「おおっ」
という、どよめきのあと、割れんばかりの拍手。勢いづいて
「シェイ・シェイ!」
「ああ~、シェイ・シェイ!」
って、みんな、とびきりの笑顔。こういう笑顔だったなぁ、東洋の国の、なつかしい笑顔。ずっと、忘れてた。はるばる中国から、こんなところまで来てくれたんだなぁ、そう思ったら、急に涙が出てきて、とまらなくなった。
ひたすら「シェイ・シェイ」だけを、くりかえすわたしに、お父さん、お母さんはうなづきながら、ずっと拍手をしてくれた。そして
『中国人ご一行様』は、レストランから出る最後まで、ずっと手を振ってくれた。セクシーなことは苦手だけど、東洋人の『思いやり』は、世界一級!彼らの笑顔は、それからしばらくのあいだ、わたしの心を暖めて続けてくれた。

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「第75話 ベリーダンスに勝るもの」への7件のフィードバック

  1. 無茶なご要望にてんやわんやで必死に応えたあげくに、結局最初のままが一番よかったじゃん!という展開は、広告作るときもよくありましたよね。でもそれはきっと無駄ではないのだ。

  2. 「無駄ではないのだ!」
    すっきりと言い切っていただき、ありがとうございます。
    「人生に、無駄なし!」
    この暑い中、一瞬の『涼風』さえ、感じました。

    いよいよ、わたしたちも『貧乏生活ブログ』から、
    『人生哲学ブログ』に、上場ですかね。
    暑いので、秋になってから、格調あげたいと思います。

  3. こっちも暑いです。マラガほどではないかもしれないけど。

    『人生哲学ブログ』・・・それも面白そうだけど、このブログはやはり『貧乏』のままでぜひ!

  4. ありがとうございます。
    『貧乏のままでぜひ!』
    って、応援なのでしょうね、きっと。

    やっぱ、あれですかね。
    さもんだいさく(漢字がかけない)とか、矢吹ジョーとか
    金持ちになっちゃいけないキャラ、ってありますからね。
    力石とおると、正反対。
    だから、立つんだ、ジョー!
    さもんだいさく、背中に兄弟、背負って打つ!
    タイガーマスクは、孤児院出身で、
    同院のこどもたちを養っていたのではなかったっけ?

    そういえば昔、てんとうむしのなんとか、っていう
    マンガ、ありませんでしたか。
    兄弟が貧乏に負けず、手をあわせて生きていく・・・

    書いてて、だんだん切なくなってきました。
    今はなくなってしまった『貧乏路線』。

    ああっ!今思いましたが、
    かつての『スポ根・貧乏もの』が懐かしくなったら、
    このブログを読めばいいですね。
    「汗水たらして特訓して、わずかな収入でささやかな幸せ、
    明日のことはわからないが、
    みんなで、助け合って生きていく!」
    って、路線はおんなじ。
    そうか~。だから『貧乏のままでぜひ』なのか~。

  5. 「てんとうむしのなんとか」って何?と思って調べたら、「てんとう虫の歌」っていうマンガなのね。川崎のぼるが小学館の学年別雑誌に掲載してたらしい。ぎりぎり見ていていいはずだけど、記憶がない。。。

  6. あと、「さもんだいさく」は「左門 豊作(さもん ほうさく)」ですかね?「巨人の星」に登場する丸メガネでぷっくりしてる人。

    タイガーマスクは孤児院出身で孤児院に援助してましたね。

    確かにこのブログ、「貧乏・スポ根」ですよね。貧乏はまだしも、音楽屋なのに「スポ根」なところがちょっとミスマッチっぽくって面白い。

  7. クロ隊長!お忙しいのに、調査をありがとうございます。
    「てんとう虫の歌」、ああーそうでした!
    「♪ぼくらは七つの星なのさ~」って。

    それから「さもん豊作」、ありがとうございます。
    今、思いましたが「豊作」って、いい名前ですね。
    貧しくもがんばれ!『豊かに実れ!』という、
    親心を、ひしひしと感じます。
    そのとおりになって、よかった、よかった。

    このブログの方向性が今回、
    『貧乏・スポ根』であることが、よくわかりました。
    気づかせていただき、ありがとうございました。

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