映子さんに教えてもらったこと

CIMG5047 CIMG5060 CIMG5061 70歳を過ぎてから
ピアノを始めた映子さん。
2年間、お隣のミハスから
通ってくださいました。

隣町と言っても
車で30分。
2年間、欠かさず
送迎をしてくださったのは
なんと旦那さまでした。
やさしい~。

第一の目標は
「ラ・ビアン・ローズ」
そして二曲目は
「パリの空の下で」

あっというまにクリアーして
「愛の賛歌」

そしてなんと
「エリーゼのために」
へと
挑戦は続きました。

映子さんはずっと
ドイツに住んで
おられたので
ときどきドイツ語を
日本語に変換しながら
「えーと、日本語では
どういうのだったかしら」
と、戸惑うように
話していらっしゃいましたね。

私が一番印象に
残っているドイツ語は
「シュトルツ」
発音はちがっているかもしれませんが
そう聞こえました。
「誇り」みたいな
意味だったと思います。

映子さん、というと
思い出すのが
この言葉です。

毎週、必ず
習ったところを練習して
弾けるようにして来られた
パワーと集中力に
私の方がたくさんのことを
教えていただきました。

ピアノ教師という立場では
ありましたが
人生の大先輩である映子さんに
海外生活の苦労
国際結婚の大変さ
ビジネスの厳しさ・・・と
毎週、貴重な体験談を
聞かせていただきました。

そしてどんなときも
エレガントだった映子さん。
「女は何歳になっても
どんな時でも
きれいにしていなくちゃだめよ」
と、ベラのことがあって
つらい時も励ましてくださいました。

そして10月のある日のレッスンで
「あ、今日はきれいよ、あなた」
と、化粧を始めた私を
まっすぐに見つめて
声をかけてくださいましたね。

映子さんがドイツに戻られると聞いて
二人で過ごした時間が
懐かしく思い出されました。

ピアノ発表会の時も
小さな子供たちより
映子さんの演奏で
話題は持ちきり!

「エリーゼのために」
を弾いたときは
「すごい~」
「信じられない」
と、拍手喝さいでした。

それから
ワイン、レモン、パン・・・など
いつも食料の差し入れを
ありがとうございました。

なんだか手紙みたいに
なってしまいましたが
映子さんのドイツの住所が
わからないので
このブログが届くといいなぁ
と、マラガよりお祈りしています。

レッスン最後の日。
映子さんをいつものように
エレベーターのところで
見送りながら
私は初めて泣きました。
でも、悲しかったわけじゃありません。

出会えて、よかった。
と思ったからです。

音楽が結んでくれた縁。
音楽を愛する気持ちが
2年間という人生を
分かちあわせてくれました。

映子さん、この2年間
毎週月曜日は
「映子さんの日」だったんですよ!

映子さんのいなくなった月曜日を
私は今、過ごしています。
さみしいけれど
でも、またいつか
映子さんのピアノが聴ける日を
楽しみにしています。

2年間、レッスンに通ってくださって
本当にありがとうございました。
ドイツでどうぞお幸せに!

~音楽と絵の工房~地中海アトリエ・風羽音(ふわリん)南スペインだより