Facebookの西語の校正マン

最近やっと
「Facebookをやっています」
と、小さな声で言えるようになった。が、まだまだ未知の世界。ちょっと新しいことを試みると、いきなり頭がショートする。

「やややっ」
「わっわっ、あやっ」
と、一人で大騒ぎしていることがよくあるが、それでも
「Facebookは後から直すことも、削除することもできるんですよ」
ということが理解できてから、だいぶ落ち着いた。

だいたい、私のスペイン人の友人の多くはFacebookをしていないので
「いったいどうして、ももがそんなものを?」
と、頭をひねっている。

確かに、わずか六年前までは
「携帯電話も、メールアドレスも持っていなかった」
陸の孤島ライフを送っていたのだから、当然であろう。

それが、これからは
「Facebookをスペイン語との併記でアップしたい!」
などと言い出したので、私の友人たちは無理やり
「校正マン」
として、駆り立てられたのであった。

「あ、ちょっと聞いていい?」
で始まるこの、どこでも校正劇。は、バル、通り、バス停、バスの中、信号、映画館の待ち時間、などあらゆるところで、無条件にいきなり繰り広げられる。

「文法としては正しいけど、表現としてもっと強調した方がいいね」
「同じ言葉を繰り返してるから・・・えっとーここは・・・」
などと、友人たちは眉間にしわを寄せて、私の原稿を繰り返しつぶやく。その横顔を、うっとりとして眺める(笑)。

お願いしておいてなんだが、まったくいい迷惑。であろう。作業をしながら気がついたが、結局私たちがしているのは
「日本語をスペイン語に訳す」
ことではなく
「私の思いを、言葉で表現すること」
なのだ。それも一緒に。

だから、この作業が終わった後、友人たちは口をそろえて
「ももって、こんなこと考えてたんだね」
と、私の顔をのぞき込みながら言う。

「ももがどう思い、どう考えて生きているのかがわかったよ」
「前よりも、もものことがわかった気がする」
そう言ってくれると、本当にうれしい。

まだまだ始めたばかりで、Facebookが軌道に乗るのは来年かな。でも、ここ二か月の翻訳作業は、私と友人たちとの距離をぐっと縮めてくれた。

そして最近、始動中の「作品カタログ作り」。これも、もちろんスペイン語との併記。なので、校正マンの仕事に、終わりはなし(笑)。

日本語で文章を書く瞬間、最近よくスペイン語でも同時に考えている。あるいは、先にスペイン語で書いて、日本語に訳すこともある。その方が簡単な時もあり、とてもおもしろい。

ものを考える時、論理的なスペイン語の方が、文章が明確なのだ。日本語の方が情緒があるので、その二つの言語の間を行ったり来たりする、不思議な時間にもなっている。

「すべては、プロセスにある。プロセスにこそ、意味がある」

Facebookや作品カタログ作りのための「翻訳」だった。それが当初の目的だった。が今では、どうだろう。私が一生懸命に語る思いに、友人たちが、真剣に耳を傾けてくれる。それを
「一緒に言葉にしていく作業そのものが宝なのだ」
と、実感している。