18.同窓会みたいな一夜

スペインへ帰る前に、どうしても会っておきたかったのがみさのちゃん。
なんとか最後に、約束にこぎつける。私たちは小学生の同級生。はるか四十年前の自分を知られていると、「今さらかっここつけても」なのである。だから、雰囲気は「小学校の同窓会」。

小学生の頃、わずか10分の放課を惜しんで、ドッジボールをしに校庭に走ったり、真冬の寒空の下、縄跳びで思いっきり足を打ちつけたり。と思い出話が、やたら「体育系」。

というのも、今はあるのか知りませんが、当時(四十年前)の学校制度には「全国体育指定校」というものがあり、
「とにかく、体育に力を入れましょう!」
という、国の指定を受けた小学校で、まるでスパイを育てるように、ものすごい養成、というか調教に近い毎日を、私たちは送っていたのである。

例えば、小学校四年生で入った夏休みの水泳クラブ。プールは25メートルであったが、まずこれを「一本」と呼ぶ。
「まずアップ(ふつうこういう言葉を使うか?)として、手だけで5本、次に足だけで10本泳ぐ」

「足だけで泳ぐ」って、書くと簡単ですが「息つぎに頭を上げる」のだって一苦労。クジラじゃないんですから。それが終わるとやっと「両手両足を使って」泳がせてくれるわけですが、このあたりがうまくできていて
「あぁあ、両手両足を使っていいのか~、なんだー楽チン」
みたいな。感謝している場合ではない。

さらにその後は、「インターバル」だの、すごい特訓が待っていて、毎日5000メートル近く泳ぐわけです。さすがにバテて来ると、先生も心得ていて、私たちを一列に並べ
「よし、口を開けろ!」
って。ひとかけらの氷砂糖を口の中に投げ込んでくれる。その甘くておいしかったこと!って、サーカスのクマじゃないんですから。

秋になれば「陸上クラブ」が特設され、私たちは運動場をひたすら駆け回っていた。なぜか、はわからない。そんなこと、スパイ養成施設では尋ねらませんよ。これだって、ただ走ればいいというものではなく、「もも上げ」「ダッシュ」「インターバル」など、走り方と量が徹底されていた。

冬になれば「縄跳び」である。二十飛びなんて、うちの学校ではみんな当たり前にできたので、競い合うポイントは
「三重飛びがいくつできるか」
「二重飛び、はやぶさ、三重飛びの続けて行うコンビネーション」
など、今思えばとんでもないレベルであった。

思わず話が脱線してしまったが、この小学校ネタだけで、本が一冊書けるるくらい、私たちの体育能力はずば抜けていた。それがわかったのは、中学校で他の小学校から来た子たちと混ざった時である。他の学校の子たちはとても賢そうに見え、楽器や歌などがみなうまかった。

一方、私たちM小学校出身者は、勉強&文化面でこそパッとしないが、体育祭および体育系部活において「花形」であった。中一でもうレギュラー選手。かくゆう私も50メートルは7,3秒、100メートルは13,6秒で走っていた。恐るべし!「全国体育指定校」。そういえば年に数回、M小学校には全国からその「結果」を見るべく、不思議な大人の人たちが、私たちを観察に来ていたっけ。

さて、中学生になり、私たちはクラスこそ違ったが、今度は「生徒会」の役員として、よく放課後を一緒に過ごした。どんな雑務をしたのかはすっかり忘れてしまったが、焼き芋を買いに走り、細井先生に「ド叱られた(三河弁)」ことだけはよく覚えている。、もちろん走ったのは私で、みさのちゃんは部屋の中にちゃんと残ってました(笑)。

小学生の頃の話が、今もできる。っていいな。お互い、あまり変わってないのにびっくりする。みさのちゃんが、ようちゃんと結婚して、犬のげんちゃんが家族に加わって、三人暮らしになって。私とべラが座っていたこのリビングに、今は三人。時間は確実に重なり、そして過ぎていく。

みさのちゃん、おいしい手作り料理&焼きたてパンをありがとう。洋ちゃんも、楽しい時間を。そしてげんちゃん、触らせてくれてありがとう(笑)。
また、お互い、がんばっていかなくちゃね。また、夏に会えるのを楽しみにしています。