ベラのこと18・「ラストライブは寝室で」

このエピソードは
ずっと書けなかった。
あんまりに大切で
思い出すには
あまりに痛みを伴ったから。

ベラが逝って
2か月が過ぎようとして
ようやく距離ができ
やっと今、書けるようになった。

そういうエピソードはまだいくつもある。
口に、言葉にするには
あまりに鮮烈で、生々しい思い出。
いや、出来事。

それは、傷あとに近い。
せっかく「かさぶた」になった所を
はがすようで
まだたくさんのことを
口にできないでいる。

それでまだ
いくつかの出来事を
私の心の中に
そっとしまってある。

それは主に
ベラと交わしたいくつかの会話だ。
余命を告知されてからの
私の心深くに刻まれた
ベラが私に残してくれた
最後の言葉。

それを私は
忘れることはないだろう。
いつか書けるといいな、と思う。

前置きが長くなったが
今日は、ベラが亡くなる
3、4日前の話を書きたい。

毎日、救急ドクターを
呼んでいたあの時期。
ドクターによる
モルヒネが効いて
ベッドに横たわっていたベラ。

「もし、吐き気が
30分以内に出たら
すぐに救急車を呼んでください」
ドクターは厳しい表情で言った。
モルヒネの増量が引き起こす
副作用で
それを飲み薬でとめることは
もうできなかった。
「吐き気止めの注射を
すぐにしないといけないから。
でも30分持ちこたえれば
たぶん大丈夫・・・」

ドクターが去ったあと
ベッドに横たわるべラを見ながら
「どうか吐き気が起きませんように!」
と、懸命に祈った。
「そのために、私に何ができるだろう。
30分ベラの気持ちを
穏やかにしてあげることはできないものか」

そして思いついたのは
「私たちが演奏していた曲」を
手を握りながら
リズムを取りながら
「歌うこと」だった。

「ルルル~、ララー」
「タンタンタン、タッタン」
知っている曲が流れて
ベラの表情が和やかになる。
3曲目くらいになると
音楽にあわせて
ベラの手が小さくリズムを取って
握り返してくる。
見た目にはわからないが
私には音楽にあわせているのが
はっきりとわかった。
ベラが喜んでいるのが伝わってきて
うれしくなった私は
次から次へと歌い続けた。

「この曲で、いつもチップ
もらったよね」
と話しかけると
なんと目をうっすらと開いて
右手で「お金」のしぐさまで
したのだった。
「そうそう、100ユーロもらったよね。
あのロシア人のお兄さん、おぼえてる?」
ギュッと、手が強く握り返される。

その瞬間、私の目から
どっと涙があふれて
歌う声が震えた。
のどに熱いものがこみ上げて
声にならない。
でも、歌わなくては。
止めたらだめだ。

「ララリラリラ~」
「レミファシー」
そのたびに
ベラの手に力が入り
私の手を握り返してくる。
私たちが18年間
弾いた曲。
何十回、何百回と。

楽器が持てなくなり
私たちは歌で、耳で、手のひらで
レパートリーを分かち合った。
私たちは「ドゥオ」なんだから。
二人で一つ。

「ハンガリーの曲を歌うよ。
聴いててね」
それはベラが日本の両親に
歌わせては大笑いしていた
「ロバの歌」だった。

「タクワノ・ボイレン・キッシャーチ・・・」
いつのまにか40分が過ぎている。
吐き気はベラの上を無事
通過して行ってくれたようだ。
「アーチャチ・ノージョン・・・
えーと、なんだったけ」
思い出せないでいると
ベラの手が一生懸命に
話しかけてくる。
「ソミ、アシュ・ボール、だったっけ?」
そうそう、と言わんばかりに
手が動く。

声で、顔で反応はできなくても
ちゃんと聴こえているのだ。
私たちの最期の音楽ドゥオは
ベッドの中。
バイオリンとピアノのかわりに
手と耳と声が
私たちを一つにする。

途中、私の歌声に誘われて
娘のカロリーナが
寝室に現れた。
思いがけない光景に
涙を流しながら
スマートフォンで録画していた。

そして「カリンカ」になると
カロリーナもいっしょに歌った。
手拍子をして。
いつものように。
大笑いして。
ベラの手がかすかに
リズムを取る。

私たちの最後のライブ。
ラストライブは寝室で。

そのとき私には
はっきりと見えた。
ベラのバイオリンを弾く姿が。

そしてベラにはきっと
演奏する私たち二人が。

最後にこんなライブが
行われていたなんて
誰も知らない。
1時間にも渡る
寝室ライブ。
でも、それは起こった。

18年間
いっしょに演奏してくれて
ベラ、ありがとう。
最後まで音楽といっしょの人生。
これからは
「天上のバイオリン弾き」に
なってください。

きっと今頃、
お父さんお母さんのために
弾いているのかな。