ベラのこと・12「24時間キッチンオープン」

痛みどめを大量に飲むと
眠る時間が増え
朝昼晩のリズムが
すっかり狂ってしまう。

特に薬が増えた8月中旬からは
一覧表を作って対応。
看護婦さんのような毎日が始まった。

早朝6時にまず最初の薬。
9~10時の朝食時に次の薬。
12時に薬。
2時半の昼食に薬。
6時に薬。
8時半の夕食に薬。
10時半の就寝前に薬。
そして夜中の痛みに備えて
枕元に薬を用意。
と、ほとんど「薬」が
一日の時間割の中心だった。

病院にいれば
看護婦さんが行ってくれることも
自宅介護だと
すべて私にかかってくる。
大量の薬のせいで本人も
「飲んだか飲まないか」
思い出せないので
私は一覧表を作り
念入りにチェックしていた。
緩和ケアのドクターも
「何時に何をどれだけ飲んだか」
必ず聞いてくる。

痛みどめの薬が5種類。
さらに糖尿病の薬もあったので
2時間以上の外出は不可能。
薬局や買い物
銀行などに出かける時も
「さささっ」
と音がするくらいの早業であった。

9月に入り
さらに薬の量が増えると
ベラは一日の大半を
眠って過ごすようになった。
起きるのは「食事&トイレ」だけ。

せっかくベッドから起き出したので
「ついでにテレビでも見るか」
「テラスで日光浴でもするか」
「オウムに水でもかけるか」
といった調子。

せっかく痛くなくて
気持ちよさそうに眠っているので
起こすのがかわいそうで
様子を見ながら声をかける。
「そろそろ食事どぉ?」
「うん、食べる」

で、気がついたら
うちのキッチンは一か月
「24時間オープン」になっていた。
ベラが食べたい時に
食べたいものを注文するので
「ファミリーレストラン」のようである。

一度、検査入院した時に
ベラと同室だったおじいさんが
入歯が入れられず
「サラダとオムレツ」が
食べられないでいた。

それを見ていた私たちは
「サラダのかわりにガスパッチョ、
オムレツのかわりに3分ゆで卵にすれば
食べられるのに・・・」
と、言い合った。

スペインの病院食は
私もつまみ食いをしたが
けして悪くはない。
が、家族が自宅で
対応するのとはわけがちがう。
食事の時間だって決まっており
その間に食べなければ
下げられてしまう。

で、「24時間キッチンオープン」
なのである。
頭で考えると
とんでもないことなのだが
実際、それが必要とされる環境に
置かれると
「よーし、何でも作ったろー!」
という気になるから不思議だ。

野菜スープだって
鍋で作った後、冷ましてから
「ミキサーにかけて」
「また小鍋で温め直す」
ので、手間がかかる。

でも、夜中にそんなことを
「やらされている」のでなく
「食べてくれるベラがいてくれる」
ことがうれしい。
「おいしい・・・」
なんて言葉を聞くと
もう天にも昇る思い~(笑)

結局、半分は残っちゃうんだけど
それを食べて、私のごはんに。
だから最後は私も
ずっと流動食だった。
そうすれば
「いっしょに食べられる」から。

最後までベラは
いつもと同じ食生活を守り
何ひとつ変えなかった。

朝は、しぼりレモンに水。
その後、朝食では
ヨーグルトに私の作ったジャム。
しぼりたてオレンジジュース。

お昼は、ガスパッチョか野菜スープ。
たっぷりにんにく入り。
生の玉ねぎにオリーブオイル。
魚か肉。チーズか卵。
デザートに私の作った
リンゴとプルーンのゼラチン。
しめは梅干しか、梅エキス。

おやつは、フルーツ。
リンゴ、オレンジ、バナナ、
梨、メロン、桃、ぶどう・・・
糖が下がればチョコレートアイス(笑)

夕食は、すっかり軽めになって
前は毎日飲んでいた赤ワインもなし。
その日の気分で注文。
といった具合。

だから、ベラの最期の夜、
9月20日の夕食のメニューも
「ガスパッチョ」だった。

ベラの子供たちが
私の仕事を減らそうと
「ピザでも買ってこようか」
と言ってくれたのだが
「僕はガスパチョが飲みたい」
と言ってゆずらず
結局その日も
夜の8時半から作り出したのだ。

そして、その食後には
「ニッポンの緑茶をみんなで飲もう」
と、満足そうに提案までした。

最後まで
ベラは自分の意見を持ち
それをはっきりと私に伝えてくれた。
そのおかげで私は
「最後の夕食」を
ベラの望むとおりに
かなえてあげることができた。

ベラが最後に飲んだお茶。
それは、マテ茶でも紅茶でもなく
日本の両親が
「何でも持っていきなさいよ」
と昨年の11月
手渡してくれた緑茶だった。

今になって、ベラは
私たちに贈りものをするために
ガスパッチョや緑茶を
頼んでくれたのかなぁ、と思う。