ベラがお世話になりました

CIMG1077今日は悲しいお知らせが
あります。

7月から体調を
くずしていたべラ。
実は7月初旬に
「がんの再発」を告げられ
それから自宅で「緩和ケア」に
入っていました。

8年前に患ったがんの再発で
肺、そして骨にも転移しており
すでに第4ステージ、末期という診断。
8年前には抗がん剤、手術、放射線療法と
全てフルコースで行いましたが
今回、医師に勧められたのは
化学療法のみ。

抗がん剤をしても
命が伸びるかわからない。
かえって吐き気、食欲不振
倦怠感、痛みなどの副作用を
招いて生活の質が下がるかも。
という説明を聞き
私たちが取った決断は
「薬で痛みのコントロール」をしながら
「自宅で好きなように生活する」
というものでした。

ブログでも紹介してきたように
8月のベラは体調は悪いとはいえ
食欲もあり、テラスで日光浴もでき
寝室では音楽を聴き
のんびりシャワーを浴び
杖をついて、また私が支えて歩くこともでき
友人や家族の訪問を楽しみ
オウムに霧吹きで水をかけ・・・と
いつもとほとんど変わらぬ
生活をおくってきました。

体調が一変したのが
9月の第二週。
今までにない症状が
次々と現れ始めました。

食欲が落ちる、イスに座れない
時間、空間の感覚がつかめない
一人で体を起こせない
シャワーが浴びられない
視力が落ちる・・・
毎日それに対処するだけで精一杯。

痛みの増加とともに
痛みどめの薬の量も増え
「僕、酔っぱらってるみたい」
と、眠る時間が増えてきました。

それでも起きている時は
いつものユーモアあふれるベラで
「こんなにドラッグやってれば
ロックミュージシャンになれるね」
と、私を笑わせてくれたり。

そして9月18日
さらに症状が悪化。
痰が始まり、夜中に何度も
私が体を起こして背中をさする。
熱が出れば「肺炎」が始まり
「呼吸困難」の可能性も、と説明を受けていたので
なんとかそうならないよう祈りながら
寝ず食べずの看護。

毎日、救急ドクターが来て下さり
飲み薬&パッチでは効かなくなった
痛みに対して12時間おきに
「モルヒネ注射」をしてくださる。

9月20日。
ドクターが私に
最後の決断を迫りました。
「緊急入院(病院死)」か
このまま自宅で
「セデンテーション(薬による自然死)」か。

ベラはいつも
「絶対に病院では死にたくない」
と言っていたので
私は即答しました。
「セデンテーションをお願いします」

そのときドクターは
ぐるりと家を見回して
「そうだよね、こんなすばらしい家に住んでいて。
音楽と絵と。海の見える寝室で。
病院になんか行きたくないよね」

そして私を正面から見つめると
「注射の仕方を教えるから、座って」
と、4種類の注射器を取り出しました。

自宅で「セデンテーション」をする場合
それを行うのは、家族の者です。
注射器さえ持ったことのない私が
いきなり教わるのが
モルヒネやセダンテーションの注射。
正直、本当にこわかった。

「ビンを逆さまにして、空気を抜いて
0.5ミリのところまで」
こんな重大なことを
たった3分で理解し
数時間後には実際に
注射しなくてはならない。

やる、とは言ったものの
心配で、心細くて仕方ない。
でも、これがベラの望んだことなのだと
心を奮い立たせる。

4時間おきに教わったとおり
注射を始めると
ベラは眠ったままになり
ときどき寝言のようなことを
言うだけになりました。

そして9月21日、午後6時。
開けっ放しの寝室の窓から
地中海を渡って熱風が入り込む。
季節はずれのテラルが
ベラを迎えに来たのでした。

ベラは眠ったまま
逝ってしまいました。
痛みも、肺炎も、呼吸困難もなく。
あんまり穏やかな表情で
眠っているみたい・・・

前日の夜まで
私のガスパッチョをスプーンで
すすっていたベラ。
ここ数日はしゃべる力がなく
手を握って眠る夜が
ずっと続いていたけれど
ベラに頭を押しつけると
ポンポンと犬みたいに
叩いてくれて・・・

ベラは最後までベラのままで
苦しむこともなく
音楽を聴きながら
キスを受けながら、この世を去りました。
幸せ者だったなぁ、と、今になって思います。

ご報告が
2週間も遅れてしまったことを
お詫び申し上げます。
そしてこれまで
ベラを愛してくださったみなさま
本当にありがとうございました。
ベラにかわってお礼申し上げます。

あっというまに逝ってしまったので
「闘病生活」でなく
「ベラのマイペースな生き方」を
見せてもらった気がします。

今後、ブログで
いくつかのベラらしいエピソードを
書いていこうと思います。
どうぞいっしょにおつきあいください。